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葬儀屋

― 幕間 ―


 再び叫び声をあげかけた口を無理やり両手で塞いで、胡蝶は為す術もなくその場に座りこんだ。できることなら眼も耳も塞いでしまいたい。なにもなかったことにしてしまいたい。
 けれどこれは――現実だ。
 目の前に椎名が居る。いつもなら、不機嫌そうな顔をしながらも胡蝶を引っ張ってくれる。彼女など無視して独りで仕事をしてしまうことも多かったけれど、なんだかんだで頼りになった。愛想の欠片もないけれど、たまには優しいところもあった。正直なところ、第一印象は悪かった。まず第一に「怖い」のだ。胡蝶は確かに小柄だが、それを除いても椎名は背が高い。百八十センチメートルを軽く超すだろう。痩せているから余計に背の高さが強調される。それに加えてあの愛想のなさだ。隣に並ぶだけで威圧感がある。物理的にも、精神的にも。更に、刀を握ったときのあの愉悦の表情。嫌いだった。大嫌いだった。だから止めたいと思った。けれどそれは彼の一面でしかなく、また同時に「葬儀屋」の仕事の一面でもあることに、最近ようやく気がついた。諦観ではあったが、納得でもあった。
 ――一面ではなかったのだろうか。
 泣くことも忘れた眼を見開いて、胡蝶はただ椎名を見つめている。全身血塗れになって、それでも執拗に刀を振るい続ける椎名の姿を。そして、もはや物言わぬ肉塊と変わり果てた平崎創一の姿を。
 隣に転がっている服毒死体のほうが、まだ人間に見えるのはなぜだろう。
 ついさっきまで、創一は動いていた。こちらを見た。喋って会話を交わした。けれどなにも聞けなかった。なぜ彼は死を選んだのか、なぜここに留まりつづけているのか、なにを望んでいるのか、どうすればその苦しみは癒えるのか、活字ではなく彼の口から聞く前に、彼の未練を解きほぐす前に、創一は死んでしまった。殺された。二度。
 椎名に。
 なにが起こったのか胡蝶にも解らなかった。あのとき、ふと背後に違和感を覚えて振り向くと、椎名が顔を引き攣らせていた。恐怖とも嘲笑とも苦悩とも愉悦とも形容しがたい歪み。彼は右手に、抜き身の日本刀を提げていた。
 ぞっとした。
 名前を呼んでも反応しなかった。一瞥さえくれなかった。椎名は無言で創一を凝視して、滑らかすぎる動きで――咆哮のような叫びをあげながら、創一に刃を振り下ろした。驚愕と恐怖をない交ぜにして、創一がわけも解らず絶叫する。なにが起こったのか、彼も解っていなかっただろう。あまりに理不尽すぎる暴力。
 あとは――その繰り返しだった。
 逃げようとする創一を執拗に追い、追い詰めると[なぶ]るように刃を突き立てて何度も斬り刻んだ。絶叫。叫喚。断末魔。幾度も幾度も。創一の叫び声はそのうち弱くなり消えた。それでも、椎名は叫び続けている。恐怖とも愉悦とも哄笑とも喚声とも呻吟とも咆哮ともつかぬ声で。時折見える顔からは表情が読めなかった。無表情ではない。歪みすぎていて読み取れない。苦悩でも狂喜でもある表情を浮かべ、返り血を浴びた蒼い顔。
 胡蝶はなにもできず――視線を外すことすらできず、ただ見ている。血を吸って黒味を増したスーツを。真っ赤になったワイシャツを。仕事中にいつもかけているはずのサングラスは、いつの間にか部屋の真ん中に落ちてしまっていた。それが唯一の無機物。
「厭……」
 口を手で覆ったまま、胡蝶は呟いた。
 けれど椎名は止まらない。とっくに動かなくなっているカタマリを、なおも斬りつける。叫ぶ声は掠れていた。それでも斬る音は変わらない。湿り気のある生々しい音は、変わらず胡蝶の耳を刺してくる。
 赤い噴水。
 ゆるゆると首を振る。視線を椎名に突き刺したままで。
「やめ、て」
 声は届かない。目の前に居るのは、見知った相棒ではない。違うのだ。違うのだ。胡蝶の知っている椎名はこんな残酷なことはしない。こんな、相手を嬲るような真似はしない。「始末」のときだって、いつも一撃で済ませてきたではないか。こんな、殺人衝動に身を任せるようなことはしない。
 ――身を任せたから、零度の鎮魂歌[ゼロ・レクイエム]などと呼ばれていたのではないのか。
 誰かが囁いた。その声を封じた。聞かないふりをした。
 辺りは恐ろしく静かだ。窓の外には平和すぎる田園風景が広がっている。部屋の中は、死者にしか見えない血の海。床も天井も四方の壁も。横たわる死体も、ベッドの上の吐血跡や吐瀉物も、取るに足らない装飾品。狂ったように刀を振るうスーツの青年と、とうに肉塊と化した青年とに比べれば。
 誰だろう。
 この人は一体誰なのだろう。
 胡蝶は自問し続ける。答えなど出るわけがなかった。
 ――椎名が、不意に足元をふらつかせた。
 咄嗟に身体を支えようとしてか、握りしめた刀をひときわ深く創一に突き立てる。それでも体重を支えきれず、彼はその場にずるずると座りこんだ。そしてそのまま、糸が切れたように動かなくなった。刀の柄を握りしめたままで。
 呆気ない幕切れだった。
 胡蝶は、ぼんやりと彼を見つめている。感覚が麻痺していたのは幸福と言って良かったのかもしれない。部屋中を彩った血の装飾を見ても、もうなにも思わなくなっていた。ただ椎名だけを見つめていた。
「椎名君」
 呆けたような声で、胡蝶は相棒の名を呼んだ。
 椎名はぴくりとも動かない。死んでしまったのではないかと、おかしなことを考えた。
 力の入らない身体を無理に動かし、這うようにして椎名のほうへ向かった。途中でサングラスを踏みつける。ぱきりと無機質な音がして、膝に痛みが走る。だが気にも留めなかった。
 真っ赤な真っ赤な平崎創一の魂が、思いだしたようにゆっくりと透けていくのを見た。同時に、室内にこびりついた血痕も色が薄れていく。拷問から解放された魂は、ようやく輪廻に還ろうとしている。こんな姿になってもちゃんと還れるのだろうか、と、胡蝶は憂鬱な気分で考えた。
 ようやく、椎名のスーツの上着に手を触れる。無意識のうちに、その薄い背中にしがみついていた。露骨に嫌そうな顔をして振り払われる、そんないつも通りの反応を半ば期待しながら。
 椎名は動かなかった。
 覗きこむと、血のこびりついた黒い髪の隙間から、硝子玉のような紅い眼が見える。それだけだった。
 胡蝶はしばらく彼の眼を見つめていた。普段から感情の薄い眼をしているが、少なくともいつもは零ではない。こんな、硝子玉のような眼はしない。
「椎名君」
 呼びかけても返事はない。
「椎名君」
 何度か呼んでみた。
「なんで」
 呟いてもみた。けれど同じだった。
 ――常磐さんを呼ぼう。
 しばらく呆然としたあとで、ようやくそう思った。自分の力では、もうどうしようもない。誰かに頼らなければならない。奇妙に醒めきった思考回路は、それだけのことを冷静に判断した。
「椎名君」
 物言わぬ椎名の横顔に、胡蝶は再度呼びかけた。譫言[うわごと]のように。
 頬の返り血も、ワイシャツに滲みこんだ血も、何事もなかったかのように消えていく。けれど椎名はまだ戻ってこない。
「常磐さん、呼んでくるからね。ちゃんと待っててね。……絶対だよ」
 しばらく待つ。返事はない。
 胡蝶は諦めて、薄い背中にしがみついたまま目を閉じた。いつもの第三班室ではなく、直接に常磐の執務室を思い浮かべる。意識がぐいと遠ざかる。椎名の背中の感触までもが遠ざかっていくことを、どうしようもなく心細く感じた。

「どう思います、狭霧」
 呼びかけると、狭霧は冴えない表情で顔を上げた。常磐は彼女の顔を見て、いつもと同じような微苦笑を浮かべる。強いていつも通りにしていないと、どこかがまた狂ってしまいそうだった。
「……どうって」
「貴女に訊いても仕方ありませんね」
 溜息交じりに言うと、聡明な相棒は困ったように肩を竦めてみせた。お手上げ、と、そう言いたいのだろう。そしてそのまま、彼女はデスクの上の書類に視線を落とした。二つ並んだデスクの上に、報告書、始末書、その他諸々の紙切れが散らばっている。書類を散らかすなど自分らしくもない、と、他人事のように思った。そして、つい数時間前の出来事を思い出す。――あのときも、こうしてこのデスクの前に座っていたのだったか。
 書類を仕分けしていたあのとき、不意に、部屋に胡蝶が現れた。不意も不意である。彼女はノックをすることすらせず、現世から直接執務室に飛んできたらしかった。常磐の知る部下の中で、最も律儀で最もそんなことをしそうにない彼女が。
 椎名は居ない。胡蝶だけだ。
 嫌な予感がした。
 ――緊急事態か。
 反射的に立ち上がり、彼女の傍へ歩み寄る。それに気づいてか胡蝶がこちらを見る。次の瞬間、彼女はものも言わずに常磐の身体にしがみついてきた。
 背中に食い込む指が痛い。
 どうしたんです、と問うより早く、胡蝶は堰を切ったように泣き出した。
 ――常磐さん、椎名君が、椎名君が……!
 予感では済まされない、と直感した。
 素早く狭霧に目配せをする。戸惑いを隠せずにいた彼女も、言わんとすることは理解したらしかった。黙って頷き、そっと書棚整理に戻る。常磐は泣きじゃくる胡蝶の両肩に手を置いて、その場にしゃがみこんだ。子供に対してするように彼女を見上げ、ゆっくりと言った。
 ――椎名になにかあったのですか。
 胡蝶は真っ赤な眼で常磐を見、かくかくと痙攣するように頷いた。改めてなにがあったのかを問い、途切れ途切れに返ってきた答えを繋ぎあわせたとき、覚悟を決めた。――ある程度予想はしていたのだ。胡蝶の取り乱し様と、椎名という名を聞いた瞬間に。いずれは訪れてしかるべき事態だったのかもしれない。
 胡蝶を伴って現世に赴くと、椎名は呆けたように座りこんでいた。突きたてた刀にすがるように。血痕などもう一滴も見当たらなかったが、事態の凄まじさは虚脱した椎名の姿から知れた。
 胡蝶はなんとか泣きやんでいたが、子供のように、常磐の後ろでスーツの裾を掴んで離さなかった。微笑を向けて裾を離させると、不安げな眼が返ってきた。それもまた微笑して受け止めてから、椎名の傍に片膝をつく。
 彼は[やつ]れていた。
 そして壊れていた。
 紅い眼が、どこを見るでもなく一点で固まっている。
 ――椎名。
 名を呼んだ。物言わぬ横顔に二度三度呼びかけると、彼の横顔は一度痙攣して、ようやく首をこちらに回した。ぼやけた焦点が、時間をかけてようやく常磐に合う。表情はまだ戻らなかった。
 ――とき、わ?
 ――僕です。判りますか。
 椎名は首を折るように頷いた。そして自動人形のような動きで首を動かし、刀の柄を固く握りしめている己の右手を見る。しばらくそのまま見つめたあとで、力なく、呟いた。
 ――やっちまった。
「結局」
 狭霧が独り言のように呼びかけてきた。散らかした書類の上に頬杖をついて、どこを見るでもなく考え事をしている。ロングピアスがちらちらと煌めいて見えた。
「処分はどうなったの?」
「事実上謹慎、といったところですね」
 書類をまとめて何枚かとりあげ、デスクの上で種類ごとにまとめて揃える。単調に手を動かしながら、常磐は事務的な口調で答えた。
「暫時、組を変えることにしたようです。貴女と椎名とを入れ替えて。貴女と胡蝶、椎名と僕ですね。胡蝶は、どちらにせよ落ち着くまで貴女に任せるつもりでしたし、御偉方が椎名を僕に押しつけたがるのも解りますし……まあ、妥当な判断ではありませんかね」
 自失している部下に代わって常磐が聞いてきたのは、処分というには余りに軽い処分だった。本来なら、即転生に――事実上の追放であり、生者でいうなら死刑――回してしまってもおかしくないような事態だというのに。
 真っ先に思いついたのは、椎名の「始末」能力を買ったのだろう、ということだった。有り体に言えば、幹部が重視するのは業務効率だ。確かに、殺人衝動というのも飼い慣らせば巧く使える駒ではあろうし、事実今までは飼い慣らしてきた――つもりになっていた――わけだから、椎名を失いたくないという思惑も解らなくはない。だがその一方で、彼らも椎名を忌避しているという事実もある。報告を聞いた瞬間、狼狽して真っ青になった上司や幹部の顔を思いだし、常磐は思わず唇を歪めて笑った。それにしても、「始末」のせいで不祥事を起こした椎名が「始末」のおかげで救われるとは皮肉である。しかし、そもそも不祥事といっても、「評判」を気にする「世間」や「他者」は存在しないのだ。全ては内部処理であり、下がるのは事実上、椎名の評判だけだ。一社独占体制というのも考えものである。
 しかし、と常磐は考える。
 どちらかといえば、心配なのは胡蝶のほうだ。彼女はすっかり不安定になってしまっている。彼女や、「惨殺」された平崎創一の心配は誰がしてやるのだろう――とふと思う。
「御偉方の考えそうなことね」
 狭霧は辛辣な口調で呟いた。そして頬杖をつくのをやめた。
「どうしてこうなっちゃったんだろ」
「予想されたことですよ」
 彼女の肘の下から書類を抜き取って片付けると、狭霧がつと常磐を見た。常磐も彼女を見て微笑みを返す。――そう、予想されたことだ。あるいは、椎名が「葬儀屋」としてここに現れ、自ら椎名と名乗ったその日から。
 常磐を含め、「葬儀屋」には生前の記憶がない。正確には消されている。記憶など、魂という不安定な存在を揺るがしかねない化け物でしかないのだ。名前も然り。二度目の生を受けた「葬儀屋」は、「葬儀屋」としての死後名を受ける。辞書を引けば載っているような、記号でしかない一般名詞を。自らの存在を揺るがさないために。
 しかし椎名は違った。
 彼の名は固有名詞だ。
 ――俺は、椎名だ。
 常磐が椎名を迎えたその日、椎名は自ら「椎名」と名乗った。名前は、現世の記憶を封じる最後の砦である。彼は、その名を憶えていた。つまり――彼の記憶は、まだその名の中にこびりついている。それほどまでに強い記憶が、彼を根底から揺さぶっているのだとしたら。その記憶が、殺人衝動という形で噴出したのだとしたら。
 椎名の殺人衝動は、コンビを組んでいた頃から目の当たりにしてきた。普段は気だるげにしている彼が、刀を持った瞬間、人が変わったように「殺人」に走る。それは、無関心ゆえに「始末」を厭わない常磐とは全く次元の違うものであった。それでも椎名は、彼なりに「衝動」と闘い、抑えつけ続けていたように思う。時折仕事で暴発することはあったが、それとて、胡蝶と組んでからは随分落ち着いてきたのだが。
 椎名の生前データを、常磐はゆっくりと反芻した。――今更そんなことをしなくても、思い当たる節があることなど解りきっているのに。それを把握しておくことが管理職の役目ではなかったか。
 厭な事実が澱のように溜まっていく。常磐は小さく溜息をついた。面倒な部下を持ったものだ、と思うが、そんなことを嘆いても意味がない。
「月影って知ってる?」
 聞き覚えのある名を聞いて我に返った。狭霧は相変わらず常磐に顔を向けて、しかし視線だけは微妙に彼からずれている。ソファを見ているのかもしれない。
「情報局のですか」
 問い返すと、狭霧はゆっくりと頷いた。
 会ったことはないが噂には聞く。椎名と瓜二つの情報局員だという。情報局員など年中局に引きこもっているし、椎名も引きこもりのようなものだから無関係だと思っていたが――椎名の生前データを把握している身としては、月影とはある意味不穏な存在だった。
 聞いたことはある、とだけ言うと、狭霧は頷き、それからかすかに眉を寄せた。
「この前胡蝶が彼のこと訊いてきてね。ひょっとしたら椎名にも通ってるかもしれないわ。そのときは気にも留めなかったけど……」
 狭霧は口をつぐんだ。常磐も黙っていた。
 固有名詞を名前に持つ「葬儀屋」。
 瓜二つの情報局員。
 殺人衝動。
「嫌な感じ」
 小さく溜息をついて、狭霧はやがて呟いた。
「……ひとまず」
 沈黙する彼女に、常磐は微笑みを向ける。このまま黙って待っていても意味がない。なんらかの手段を講じなければ事態は膠着したままだ。
「椎名のことはひとまず僕に預けてください。どちらにせよ、組はしばらく変えられるようですからね。貴女は、胡蝶の傍に居てやってください。医務室に寝かせていますから……彼女も貴女が居れば安心でしょう」
 狭霧は顔を上げた。真顔で彼を見据え、頷く前に問いかける。
「君はどうする気なの」
「僕ですか」
「なにか考えているんでしょう」
 凛とした眼がこちらを見つめてくる。
 常磐はおどけて微苦笑し、両掌を狭霧に向けた。
「考えたからといって、埒が明くとは限りませんよ。――まずは椎名に話を聞いて、全てはそれからです」
 狭霧は、そう、と短く応えると、唇を引き結んで頷いた。常磐の言葉を鵜呑みにしているわけではないのだろうが、それ以上なにも言ってはこなかった。そんな駆け引きじみたやり取りが、常磐は嫌いではない。
 事実――狭霧にああ言いはしたが、椎名の話を聞く必要などほとんどないのである。方法は一つだけだ。解りきっている。椎名にあるのは選択権だけだ。選ぶか、選ばないか、その二択。
 常磐はつと、部屋中央のソファに視線を投げた。ソファの上では、再び意識を失った椎名が細い身体を投げ出して昏睡していた。


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