#twnovel




●「禊ってやつだよ」窓際で海岸道路を見下ろしていると、彼が気障な口調で呟いた。睨みつけると肩を竦める。「水で清めるんだ。事実だろ?」応えずに再び見下ろすと、計ったようなタイミングで赤い車が現れる。計算通りの場所でコントロールを失った車は、運転者ごと海へ突っこんだ。

●姿が見当たらない、と思っていたら、彷徨っているのを見透かすように低い口笛が流れてきた。早足で角を曲がると、うら寂しい休憩所のソファに、気だるげな長身を投げだした姿。咎めようとして、やめた。斜めに傾いた横顔をもう少し眺めていたいと、なぜだかそのとき確かに思った。

●血の夕陽が降る屋上だなんてお膳立てにも程がある、とずれた感想を抱いた。フェンスに凭れる僕に、君は悲壮な眼差しを向けている。「もうやめてよ」僕らを隔てるフェンス一枚。飛ぼうか迷う僕の背中に叫ぶ君。さてどうしようか。西から誘う夕焼けは、細めた眼にも毒々しく痛かった。

●楽屋の窓から曇り空を睨むボーカルに、ギターが苦笑で呼びかけた。「雨降ってねーだけマシだろ? 晴れ男の本領発揮だよ」振り返ったボーカルが真顔で宣言する。「初ライブだ。気合で雨雲吹っ飛ばす」「了解、リーダー」にやりと笑ったドラムスが膝を叩いて立ち上がった。――開演。

●おい酒だ、酒持ってこい。くそっ、飲まねえとやってられっか。冴えねえし鈍臭いし、強いていうならちょっと心持ちが紳士なだけのお前がだぜ、なんでこんな綺麗で優しい嫁さん射止めてんだよ、不公平だろうが、世の中。え、だから酒だよ。祝い酒だ。早くしねえと承知しねえぞ、畜生。

●窓際の椅子に揺られ、しばし己を見失う。降り注ぐまろやかな陽射し、海を渡る初秋の潮風、色づきはじめた木々の囁き。広い世界のどこかで、同じ空気を分けあうひとを思う。拝啓、この景色をほんの少し、一緒に眺めてはくれませんか。今の一瞬きりにしか出逢えないものたちに、感謝。

●おめでとう、と言われて、ありがとう、と返したくないときがある。憶えていてくれたこと、祝いたいと思ってくれたこと、時間を割いてくれたこと、祝ってくれたこと。たくさんの感謝を伝えるのには、どうしたら良いんだろう。せめて精一杯の笑顔で、「誕生日、ありがとう」。

●潤んだ眼に視界が霞む。見上げた天井は白いばかりだったが、疲弊した身にはその距離感が心地良くもあった。喉の奥に苦味がこみ上げるのをなけなしの気力で嚥下し、長く息をつく。――点したばかりの目薬を置いて、再びキーボードに手を載せた。仕事を抱えたパソコンが妖しく光る。

●悪いがここまでだ。ここを出れば最後、生きて帰れるとは思っていない。これまでの努力? 馬鹿言っちゃいけない。あの強大な力の前に、俺如きが太刀打ちできると思うのか? 所詮は結果の見えた戦だ――もう、既に。「馬鹿言ってないでさっさと出かけなさい」中間試験一日目。空は、青い。

●綺麗な石を繋げて作った、世界でひとつのブレスレット。水晶、紅水晶、月長石。ちいさな粒のひとつひとつに、思い出をせっせと閉じこめたのに、今ではもう、居場所を失くして彷徨うだけ。鋏を入れて石を散らすと、窓から空へ還っていった。さようなら、あのひとの隣に居たわたし。


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