●タイルに落ちた小さな虹をパレットに、空想に膨れた幻を描いた。煌めく宝石、鮮やかな衣装、色とりどりの異国の果実。いつかこの塔から救ってくれる王子様。高窓越しの陽が翳っても、虹の絵の具は尽きることがない。塔から延びる梯子の出口に、夢見る姫は気付かない。 ●南の空の仄暗い一角に、気まぐれな一等星が光ることがある。運良くそれに出会えたら、言葉をひとつ、貰えるのだそうだ。晴れた夏の夜、手を繋いで丘に登ると、南の空に一等星が見えた。私たちは顔を見合わせた。彼が深呼吸をした。「……結婚しよう」「うん」 ●「どうも君の言うことはよく解らない」「解ってもらおうなんて端から思っていないからね」「意味の解らないことをやらせようっていうのか?」「解ってないのはそっちだろう。意味が解るとできなくなるのさ」それこそ怖すぎてね、と、相手は唇の端だけで嗤う。逃げられない眼差しだ。 ●あの日から年の半分が消えはじめた。――それほどあの者が愛しいならば、救うてやらぬこともない。か細い息で横たわる彼女を目の前に、一も二もなく頷いた。綺麗な ●誕生とは「痛み」だ。なにかが新しく生まれるならば、別のなにかを引き裂かずにはいられない。完成した世界を侵すなら、相応の覚悟はあるんだろうな? 傷だらけの身体を引きずり問うと、アイツは傲然と見下ろしてきた。あんたこそ痛みに耐えられるかい? 存在しつづける覚悟はあるかい? ●眼鏡なしには字も書けない近眼のくせに、アイツはいつでも眼鏡を外して本を読む。本に顔を近づける姿に、不便じゃないか、と呆れてみせると、アイツは素顔で笑ってみせた。こうしたら、視界が文字で埋まるでしょ。そうしてまた、文字通り物語に没頭する。幸せそうな横顔だった。 ●赤い月が綺麗ですねと、微笑交じりの声がした。振り返ると、目深に帽子を被った黒衣。「赤くなんてないですけど」怪訝な言葉に応えるように、含み笑いが風に流れる。じきに赤くなりますよ。仲間の増えるめでたい夜です。何気なく見た自分の手に、人ならざる真紅の鉤爪。月が同じ色に染まる。 ●まったく、とんだ茶番だったぜ。たっての願いだっていうから請けてやったのに、ぎりぎりでやめろと泣きやがった。気の迷いだった、よりを戻した? ふざけるなよ。折角の下準備が無駄になるのも癪だから、まとめて始末してやった。復讐が心中になるなら本望だろ、お二人さん。 ●淡い黄色のマグカップが、硝子の蓋を載せている。開けても良い?老人は緩やかに首を振る。まだだよ、もうしばらくお待ち。覗くと中には白い靄が渦巻いていた。そろそろ良いかな。靄が満ちた頃、老人は蓋を開ける。ふわりと解放された靄は、マグカップを愛したひとの姿に変わる。 ●嵐に鎖が軋んだ。繋がれた獣の両の眼が、暗い虚空に爛々と光る。ぎぎぎ。あの音が聞こえるか? ぎちぎち。訂正。あの声が聞こえるか? さあ質問だ、真に恐ろしいのは鎖か獣か? 獣? 馬鹿言っちゃいけない。獣をいつ解き放とうかと窺っている鎖のほうさ。――ぎぎぎ。ぶつり。 |