gradation

6


  上の階から、がたがたきいきいと、壊れたヴァイオリンのような音が聞こえてくる。机を動かしているのだろう。腕時計を見ると、時間割上では既にホームルームが済んでおり、掃除に突入しているはずの時間だった。そういえばさっきチャイムが鳴ったような気がする。上のクラスはもうホームルームが済んでるんだろうなあと、有希子はぼんやりと頬杖をつきながら考えていた。――我らが担任田嶋教諭は、大雑把さもさることながらホームルームの長さにも定評がある。朝のホームルームで既に一度聞いた記憶のある連絡をもう一度繰り返し、更に脱線すれすれの話を続ける。話そのものは面白いので、以前ならば大して苦にもならなかったのだが――ただ連絡をしているだけなのに面白いというのもある種の才能ではある――最近は、いささか事情が違っていた。
 瀬名が部活にだけ姿を見せるようになって、そろそろ十日が経とうとしている。
 初めの頃こそ、瀬名のクラスの面々には「福田さん、どうしたの?」などといった声も聞かれていたが、今ではすっかり収まってしまっていた。二年二組が瀬名の居ない状態に慣れてしまったのか、それとも――。
 その先は、意識して考えないようにしていた。
 ――怖いんだ……。
 私だって、怖いんだよ。瀬名の言葉を思い出し、有希子は口には出さずに呟いた。それとて、もう何度目になるのかもわからない呟きだったけれど。
 少しずつ、少しずつ、瀬名が消えていく。
 いつしか、日ごとにそれを強く実感するようになっていた。とはいっても、毎日のように、瀬名のことがわかるか、と片っ端から訊いてまわっているわけではない。けれどなんとなく、感じるものがあるのだ。
 誰かの存在が日ごとに薄れていく、そのなんともいえない違和感。
 空虚、と。
 そういう言葉に近いものなのかもしれない。
 隣のクラスである有希子でさえ、それを強く感じているのだ。史織などはさぞ居心地が悪くなっているのだろう。三人で居るときは何事もないように「普段どおり」を演じているが、史織と有希子と二人きりになると、どうしても憂鬱な気分になる。これでは瀬名に失礼だ、といつも言いあうのだがどうしようもない。彼女たちがこの調子では――瀬名がクラスに居られなくなるのも、致し方ないのかもしれなかった。
「きりーつ」
 声が通るわりに間延びした学級委員長の号令で、有希子は弾かれたように立ち上がった。
「れーい」
 ありがとうございましたあ、といういい加減な号令がそれに続き、次いで一斉に、壊れたヴァイオリンのような音を立てながら机を動かしていく。有希子も一つ溜息をついて、自分の机を抱える。
 ただでさえ長く感じていた掃除時間が最近ますます長く感じる、と、ひどく暗い気分でちらりと考えた。
 なにもかも夢であったら良いのに。
 毎日のようにそう考えたところで、なにひとつ夢にはならないということなど――嫌というほど解っていたのだけれど。


  top