gradation

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「ねえ、一緒に寝ない?」
「はい?」
 唐突に言った瀬名に、有希子は思わず問い返した。部屋の掛け時計を見あげながら、そろそろ寝ようか、と言った直後のことだった。そろそろ午後十一時半を回ろうとしている。いつもの有希子ならもっと夜更かしをしているところだが、今日はどうにも疲れていた――あらゆる意味で。
 だから。
 疲れのせいかな、と、初めは思った。瀬名の言葉を巧く理解できなかったのは。
「今なんて?」
「一緒の布団で仲良く寝ようかって、さ。ほらほら、幼稚園のお泊まりみたいに」
 今度こそ目が点になる有希子とは対照的に、瀬名はどこまでも楽しそうだった。
 有希子の表情に気づいたのか、瀬名はふと笑顔を引っこめた。どことなく不安そうな上目遣い。瀬名には珍しい表情だった。
「……やっぱ嫌?」
「いや、一緒に寝るのは構わないけどさ。瀬名のぶんの布団敷く手間省けるし。いやそういうことじゃなくて」
 有希子は首を傾げた。
「……突拍子もない。どうしたの?」
「別に大した理由はないんだけどね」
 言って、瀬名はまたふっと笑う。有希子に微笑みかけるというよりは、無意識のうちに自然と浮かんできてしまった微笑のように見えた。その理由までは、はかりかねたけれど。
「ただ……うん。なんとなくだよ。なんとなく、有希子と一緒に寝たいなって思っただけ。子供みたいにさ」
 不安、なのだろうか。
 最初に思ったのはそんなことだった。
 ――知らなーい。誰それ? 君は何組の子だい。あ、お客さん? ずっと……ユキ先輩の、お友達だと……。部員でもない人が他人なのは当たり前ですよね――。
 思わず、まじまじと瀬名の眼を見た。
 けれど目の前に在るのは、混乱も恐怖も怯えもない、徹底的にいつもと同じ瀬名の双眸。それ以外の何物でもなかった。
 沈黙は穏やかだった。
 やがて有希子は、呟いた。
「……二人もベッドで寝られるかなあ」
 瀬名が一瞬きょとんとして、それからくすりと笑う。
「大丈夫大丈夫、私、寝相は良いほうだから」
「違うよ瀬名じゃない、私だってば。蹴られても知らないよ?」
「じゃ、私が壁側に寝れば問題ないね」
「落ちないってだけじゃん。蹴られることには変わりないよー」
「まあ、なんとかなるでしょ」
 大真面目に言う有希子と明るく笑う瀬名。
 もう、と、唇を尖らせてみたが虚しくなったのでやめた。可愛いひとの前でこういう仕草をするとどうも虚しくなる。
「蹴られても文句は聞かないからねー」
 ベッドに向かおうと立ち上がる有希子に続くようにして、瀬名も立ち上がった。なにが楽しいのか、彼女は先程からずっとにこにこしている。
「そんなことばっかり言ってないで、良い機会なんだから寝相もなおせば?」
「寝てるときのことまで責任もてないよ」
「ああ、それもそーかあ」
「適当だなあ……どうしたの瀬名、テンションおかしいよ?」
 瀬名に笑いかけると、有希子はするりと彼女の背後にまわりこんで背中を押した。
「――はいはい、それじゃー私に蹴られて落ちないように壁際にお一人様ご案内ー」
「えー、蹴る気満々じゃない」
「当然」
 苦笑した瀬名が布団にもぐりこむ。それから有希子は、部屋の電気を消した。
 辺りが暗くなる。
 手探りで、有希子もベッドにもぐりこんだ。
 二人で寝るにはやはり狭い。手やら足やらがときどきぶつかって、小声で騒ぎながら身体の位置を変え、ようやく狭いベッドに二人おさまった。まだ眼が闇に慣れていないが、お互いに笑いあった、ような気がした。
「悪くないね、あったかくて」
 特に意味もなかったが、有希子は小声で言った。暗闇に遠慮しているのかもしれない。
 返ってくる瀬名の声も囁き声だった。
「うん。……なんか、懐かしいや」
「そう? 瀬名とこうして一緒に寝るのは初めてだけどなあ」
「それはそうなんだけど。いつも、ユキん家に泊まるときは、この部屋に布団敷いてもらってたよね」
「そうそう。ただでさえ狭い部屋が大変なことになるんだ。ていうか、今日もその予定だったんだけどね」
「……こっちのほうが良いなあ、安心するかも」
 きゅう、と、布団の端が引っ張られるような感触を覚える。たぶん瀬名が布団の端を掴んだのだろう。それからまた、真っ暗な中から瀬名の呟く声が聞こえた。
「うん……安心する」
 段々眼が慣れてきて、目の前に、うっすらと瀬名の姿が見えるようになってきた。いつもよりずっと近くに彼女の顔が見える。半分照れ隠しで、弾んだ声を出した。
「じゃあ、次に泊まるときもこうしよっか」
 イエスもノーも返ってこない。返事の代わりに、瀬名は微笑した。
「……おやすみなさい、ユキ」
「おやすみー」
 目を閉じると、暗闇が出迎える。
 静寂。

 ――そして空白が、訪れた。


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