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葬儀屋
「anarchic re-covery」

X:胡蝶


 医務室に入った瞬間、頓狂に見開いた眼に出迎えられた。
 例の医務係が、回転椅子に座って所在無げにペンを回している。くるくると綺麗に回っていたペンが、椎名と眼が合った瞬間、派手な音を立てて机に落下した。慌てて拾いあげる白衣の彼女に、半ば呆れながら声をかけた。
「……どうした」
「あー、いえいえ、なんでもないですっ。……ちょっと意外だっただけ」
「意外?」
零度の鎮魂歌[ゼロ・レクイエム]とかいうから、もっと冷血漢だと思ってました。胡蝶さんが前に来たときは、様子も見に来られませんでしたし。胡蝶さん連れてこられたときも結構ショック受けてるっぽかったですけど、それも意外でしたけど、だって二回目ですしびっくりもしますよ」
 言い訳じみた言葉を重ねてはいたが、隣人の噂話でもするような気軽な口調だった。
 今度は椎名が言葉を失う。まじまじと相手を見てみたが、露骨に視線を逸らすわけでもなく、珍獣よろしく観察するわけでもなく、ただごく当たり前のように椎名を見上げている。どころか、当然のようにデスクに向き直ってペンを走らせはじめた。ペンを取り落とすという反応は派手だったが、いったいどちらが本当の反応なのだろう。驚愕と平静は、どちらが容易く装えるだろうか。あの眼はただのパフォーマンスだったのだろうか。それにしても、黒ネクタイを締めたブラウスと黒スカートの上に白衣を着ているというのは、かなり妙な格好だ。彼女の服装を見ながらそんなどうでも良いことを思う。
 仮にそれがパフォーマンスであったにしろ、椎名は、頓狂な眼で凝視され、ペンを取り落とされるという反応のほうが慣れていた。複雑というなら、そんな感覚を持ってしまっている自分こそが複雑だった。
 思い出したように、彼女はぽん、と手を叩いた。
 回転椅子を回して、再び椎名と対峙する。立ち尽くす椎名に向かって、三つ並んだ白いカーテンのひとつを指差した。有無を言わせない指だった。
「胡蝶さん、さっき起きたところみたいですよ」
 そしてにこりと笑う。――「みたい」ってなんだ、と問い返そうかとも思ったが、その笑みに毒気を抜かれてやめた。
 笑顔の医務係に軽く頭を下げ、示されたカーテンの前に立つ。それ以外に選択肢はなかった。
 入るぞ、と、短く声をかけて布を開いた。
 小ぢんまりと仕切られた白い空間。そのほとんどを占めるベッドの上で、託宣通りに胡蝶が身を起こしていた。恐らく医務係との会話が聞こえていたのだろう。驚いている様子もなく、ただ視線だけをまっすぐに向けてくる。両手に包帯を巻いて、頬にガーゼをつけているのは先刻と同じ姿だ。ジャケットもネクタイもしていないブラウスだけの上半身に、長い髪が黒々とかかっている。顔色は、白いというより少し蒼かった。
 胡蝶が不安げに見上げてくる。その眼の紅さもやたらに目立っていた。
「……椎名君」
 小さな声で、彼女が自分の名を呼んだ。無意識のうちに頷いた。安心させようとしたのか、安心しようとしたのか、それは判らない。
 カーテンを閉めると、不思議と辺りが静かになった。雪景色のようだ。ジャケットと黒ネクタイを身に着けている自分はさぞ黒々と見えるだろう。
 さて、来てみたは良いがどんな言葉をかけようかと――迷いながらもとりあえず、第一声を口にする。
「調子は?」
 ベッドの傍らにはスツールがあったが、腰掛ける気にはならなかった。
「見た目ほど悪くない、と思う」
「そりゃ良かった」
「うん」
「気がしっかりしてりゃちゃんと治るらしい」
「うん」
「大人しくしとけよ」
「うん……椎名君」
 上滑りする言葉を遮って、胡蝶は椎名を見上げた。――身構えた。ここに来る前から、そんな眼差しを向けられることは予想していた。予想さえしていれば、心の準備など不要だと思っていた。
 けれどこちらを向いた眼に、無力を悟った。――話を逸らしても言い繕っても、無駄だ。のみならず、どんな言葉も意味を持たない。
 胡蝶の口が開くより先に、椎名は覚悟を決めた。続く言葉も予想はできたが、答える言葉を持たない問いだということまで解ってしまっていた。
「ひろみちゃんは」
 椎名は――黙って、首を左右に振った。
 胡蝶の表情が曇る。
 椎名は表情を変えなかった。変える術がないのなら、無表情を決めこむのも一つの選択肢だろうと正当化する。彼女とて、この返事を予想していなかったわけではないだろう。つまりは同じなのだ。彼女も椎名も、決まった筋書きの上をなぞっているだけだ。そして同じように、現実の重みに戸惑っているだけだ。それなら大人しく線路の上を走っていたほうが良いと、消極的に腹を括る。覚悟など、そう何度も決めるものではないのに。
「そ、か」
 胡蝶が思い出したように呟く。
 紅い双眸が、そろりと椎名の腰に移動した。腰の右側。銀の銃が収められたホルスターが、ジャケットの下に覗いている。中の銃は擦り傷だらけになっていたが、使用に支障はあるまい。だができれば使いたくない、と思った。見られたくないとも思った。手を遣って隠したいという衝動を、危ういところで抑えている。この程度の衝動が抑えきれないでどうする、と叱咤する。意識の裏側に潜むあの無意識を、宥めすかして散らしていかなければならないのに。自分の一部として溶かしていかなければならないのに。
「……遣ったの」
「遣った。でもこれっきりだ」
 控えめな問いかけに、椎名は断言で答えた。その言葉に、胡蝶が微かに眼を見開く。銃を見たのと同じ仕草で、彼女は再び椎名の眼を見た。椎名は彼女を見返した。この眼が見えるだろうか。この眼に彼女はなにを見るだろうか。
 白いシーツを、小さな手が握っている。皺の隙間に灰色の影が落ちる。
 ――この眼の奥に、なにも見ないでいてくれるだろうか。それに気づいてくれるだろうか。
 胡蝶はつと、白い布に視線を落とした。
 椎名もつられて下を見る。皺を刻んだシーツが震えている。皺の間に影が落ちている。シーツの隙間で震える影と、夕焼け空を舞う墨色が重なる。
 俯いた胡蝶の喉の奥から、か細い声が絞り出された。
「ごめんなさい」
 言葉の理解に数秒かかった。理解してからも、言葉を受け取ることをためらった。――それは、椎名などには受ける資格のないはずの言葉だった。
 謝罪しなければならないのは椎名のほうではないのか。少なくとももっときちんと仕事に参加していれば、対応が遅れることもなかったのではないか。相棒の成長を言い訳に傍観者を気取って、その挙句魂を影にして、自分の中身まで散々掻き乱してこの結果だ。先輩気取りが聞いて呆れる。殺人衝動ひとつ抑えきれない精神なのに。
 なぜ。
 なぜ胡蝶は謝っているのだろう。
 応えに窮していると、一層小さくなった声が降ってきた。
「……ごめんなさい」
 降ってきたと思ったのは気のせいかもしれない。たぶんまだ互いに、白いシーツを見つめて俯いているはずだ。声はシーツの上に落ちるだけだ。
 受け取る代わりに投げ返した。
「なんで謝る」
「だって、あたしのせいで」
 問い返した瞬間、白いシーツに二つ三つ、灰色が滲んだ。反射的に胡蝶の顔を見て、――後悔した。
「あたしのせいで、あたしがなんにも考えなしに……あたしのせいでひろみちゃんが」
 違う、あんたのせいじゃない。ほら見ろ、感情移入すると碌なことがない。俺にだって責任はある。余計なこと考えないで寝てろ。悪いのは俺だ。許してくれ。よくあることだ。このくらいのことで。ごめん。
「――事故だったんだよ、全部」
 全てを押しのけて、その一言が口をついた。
 言葉が雫と同じように、シーツの上に重く落ちる。
 しん、とした。
 二人揃って黙っていれば静かになるのは当たり前だ。沈黙は零だ。それ以上の静寂は求めようがない。なのに、時間を経るほどに沈黙が深まっていような錯覚に陥る。言葉を。言葉が欲しい。黒ではなく白い、軽やかな言葉が。そういえば、あのよく舌の回る医務係は今なにをしているのだろう。
 どうしようもないのだと、思った。
 押し殺したように啜り上げる声が、また重く響いた。
 ――これも業か。
「事故だったんだ。誰もなにも悪くない」
 江崎ひろみは物語を恐れただけだ。ひろみの兄は、妹と物語を共有しただけだ。胡蝶は、幻の恐怖からひろみを救いたかっただけだ。ひろみに寄り添いたかっただけだ。椎名は、自分はひろみの恐怖を煽りかねないと判断しただけだ。ひろみと胡蝶から身を引いただけだ。生者の親子は日常会話を交わしただけだ。死者の姿など見えなくて当然。
 ひろみは恐怖した。胡蝶は混乱した。椎名は錯乱した。
 全員が負傷した。
 一人が正しく人外の存在となり、現世から引き剥がされた。椎名が引き剥がした。
 それだけの話だ。
 ――事故だ。
「事故だったんだよ、全部」
 低い声で言うと、ひくっ、と胡蝶が喉を詰まらせた。シーツに灰色の染みが増える。四つ五つ、六つめが最初の染みと同化したところで、椎名は顔を逸らした。ぐるりと囲んでいる白いカーテンに視線を遣る。どこもかしこも真っ白だ。白の隙間に灰色が落ちている。白を透かして向こう側の灯りが見える。
 ――あいつは。
 ――あいつも事故だったんだろうか。
 発した一言を己に投げ返す。
 この世を離れる寸前に、かの青年が明確な殺意の塊となってしまったのも、リセットされた魂が生死の番人として二度目の生を受けてしまったのも、番人が殺意の傀儡になってしまったのも。番人が傀儡であったからこそ殺意が具現化していたというのに、そんなことにさえ気づけなかったのも。
 透ける灯りが赤ければ、白いカーテンも赤く見えるだろう。そんなことをぼんやりと思う。
 ――あいつは、俺を透かして殺したがってたんだ。
 胡蝶の声は耳に届く。塞げない。塞がずに聞くのが自分の責任なのだろう。
 泣いているのは誰だろう。
 恐怖した少女か。少女を守れなかった「葬儀屋」か。あるいは、理不尽に死なねばならなかった青年か。
 抑えつけるより、宥めすかすより、飼いならすより――自分の一部として受け入れなければならないのだろうと、漠然と理解しつつあった。受け入れるどころではない。椎名はもともと、彼だったのだ。できないわけがない。全くの他人でありながら椎名を受け入れようとした胡蝶のほうが、よほど抵抗は大きいだろう。
 なんでも受け入れようとしてしまう、例え自分が傷つこうともそうせずにはいられない、そんな相棒の性質を、少しだけ眩しく思った。
 胡蝶の声が聞こえる。彼女の声も殺意の声も、たぶん同じ耳で聴いている。同じ耳で聴きいれていかなければならないのだろう。現世の路上でそうしたように。気を確かに――傀儡などではないのだから。
 椎名は目を逸らしたまま、耳を澄ましている。
「気がしっかりしてないと、治りが遅くなるから……だから泣くな」
 白いカーテンに無数の顔を見ながら誰にともなく呟いて、椎名は長い間、胡蝶の声を聴いていた。

――了


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