星間距離

五、


 班室ではなく人気のない休憩スペースを選んだのは、せめてもの気遣いだった。誰に対して気を遣ったのかは自分でもわからなかったが、少なくとも衆人環視の班室よりは、この手の話に向いているだろう。
 空白の表情でソファの隅に腰かけている星見に歩み寄り、夏野は黙って紅茶を差し出した。こちらを見上げる彼女が、酷く頼りなげに見える。――星見が姉のように見えるときと、妹のように見えるときがあった。外見上は星見が年上でも、魂の身で重ねた時間は夏野のほうがずっと長い。そのアンバランスさが、たぶん彼女への接しかたを不安定にしている。
「とりあえず、飲め」
 なるべく強い言葉を選んで、プラスチックのカップを押しつけた。星見が両手でカップを掴んだことを確認して、手を放す。申し訳なさそうな苦笑で、ありがとう、と応じた相棒に大袈裟な溜息を返し、夏野は彼女の隣に腰かけた。人一人が辛うじて座れる程度に空けられた空間は、多分、班室内でのデスクの距離と同じ。
 手許から、紅茶の香りの湯気が立つ。
「さてと、どこからいったもんかなぁ」
 わざと間延びした口調で言って、天井を仰ぐ。蛍光灯の灯りは眩しかったが、眼を細めただけで意地でも視線を逸らさなかった。言葉の軽さとは裏腹な、恐ろしく険しい表情をしているのだろう。とにかくこちらに帰って星見を座らせてはみたものの、なにをどこから話すのか、ひとつも決めていなかった。
「夏野」
 名を呼ばれて顔を下ろすと、妹の眼をした星見が、きゅっと唇を結んで姉の威厳を取り戻していた。背筋が伸びている。――覚悟を、決めた顔だ。あるいは、始末の仕事に行くときよりも余程。
 覚悟しないといけないのは俺のほうかな、と、そんなことをふと考えた。
「知ってたの?」
 世間話を装っていても、視線の重みはそれ以上だ。けれどそれを受けとめるのが、相棒の義務というものだろう。
「知ってたよ」
「飛鳥さんは?」
「判らない。ってか俺も知りたいなそれは。知ってるのかもしれないけど」
「……なにを?」
「お前の中に、もう一人棲んでることをさ」
 その言葉をごく自然な流れで口にできたことを、むしろ星見に感謝した。
 星見が肩を下ろす。意外と冷静だ、と思った。彼女も、そして自分も。
 砂糖だけのストレートティを啜って唇を湿すと、星見もそれに倣ったように口をつけた。仕事の打ち合わせをするときと同じ光景を、意図的になぞっている気がする。
「いつから?」
「わりと前だな。俺もはっきりとは憶えてないけど……お前と組んでそんなに経たない頃だ」
「……どんな子が棲んでるの」
 声が再び硬く緊張する。
 さて、どこから喋ろうか――迷いはしたが、結局なにも考えずに口を開いた。
「そうだな……名前は、月見」
 情報を取捨選択するのは、星見であって夏野ではない。なら夏野のすべきは、ありのままを口にすることだ。
「なんつーかな、さばさばっていうか男勝りっていうか……違うな、姉御肌? ともかく、お前よりちょっと軽い感じの女だよ。月見はお前のことをちゃんと認識してるし、お前が月見のことを知らないってことも解ってる。ああ、この前糸竹が言ってたとかいう、俺と腕を組んでたお前ってのは月見だ。月見だったときのお前、って言ったほうが正しいのかな」
 深刻すぎる雰囲気を避けようと、意識的に軽い口調を使う。ここで自分まで硬い表情をしてしまったら、もうこの場は救いがたい様相を呈してしまうだろう。
「ただ別に、月見の奴がお前の姿で悪さをしてたってわけじゃないぜ。ときどき思い出したように出てきて、当たり障りのない話をして引っこんでく。俺以外の 奴の前で出てくることもあんまりなかったんじゃないかな、たぶん。そのくらいは弁えてるみたいだ。さっきのは、……あいつ曰く『非常事態』だってよ」
 星見は一言も口を挟まない。ともすれば無表情に近いこわばりで、じっと耳を傾けている。月見が自分の立場や常識を弁えていようがそうでなかろうが、彼女にとっては大差ないのだろう。
「お前と月見がときどき入れかわってたのは知ってる。お前がそれを知らないのも知ってたから、知らんふりしてた俺は嘘吐きなのかもしれないな……それは申し訳ないと思ってる。でも」
 言葉を切って、改めて彼女の顔を眺める。女性。二十代前半。肩を越えるセミロングの髪。トレードマークの黒いカチューシャ。誰もが身につけるブラックスーツと黒いネクタイ。おっとりとした顔は、表情を変えることすら恐れているように見えた。
 見慣れた相棒の顔だ。
「わたしは誰、って言ったな」
「言ったよ」
「お前は星見だ」
 告げた言葉がひどくぶっきらぼうに聞こえて、夏野は心中、柄にもなく狼狽えた。それを繕うように、早口で付け加える。
「その器の中に例え何人入ってようが、いま俺と話をしてるお前は星見なんだよ。俺の相棒だ」
 わずかに困ったような表情を見せて、星見は少しだけ笑った。
「……ありがと」
 解っていた。
 星見の揺らぎがそんなものを原因とするのではないということは、所詮は他人にすぎない夏野にも充分に解っていた。
 相棒の手許を盗み見ると、ほとんど量の減らない紅茶が液面を震わせている。香りも湯気とともにどこかへ逃げてしまった。いきなり自分の中にもう一人が棲んでいると言われて、納得しろというほうがそもそも無理な話なのだ――。
 再び表情を失くして俯いた横顔を見て、迷っていた手を使う気になった。
 彼女から、視線を逸らす。冷めかけた紅茶を一気に呷って、意を決した。
「……月見、聞いてんだろ」
 星見がはっと顔を上げる。紅い眼が夏野を向いた。けれどそちらを見る気はなかった。
「当事者のほうが話が早いぜ」
「夏野?」
「あんまりヒトに任せたきりにしてんなよ」
「夏野、誰に喋ってるの、……」
「なあ、聞いてんだろ?」
「オーケー、夏野クン」
 不安げな言葉が軽薄な返答に代わったあとも、夏野は隣を見なかった。ただ、星見が一瞬怯えたような視線を彷徨わせたのは見えた。確かに自分の口なのに、自分ではない誰かの言葉が紡ぎでる。それはたぶん、恐怖だろう。
「ま、来るべくして来たってとこね。任せときなさいよ、なんとかするからさ」
 気だるげな独り言と状況把握のできない眼を残して、――隣の彼女は唐突に、糸が切れたようにがくりと項垂れた。
 空のカップを凝視したままでそこまでを確認し、ようやく首を回して隣を見た。黒髪で横顔を隠した相棒は、居眠りでもしているように見える。両手に持ったカップは微動だにしない。中の液体を心配して、夏野はとりあえず、彼女の手からカップを取り上げた。指を引き剥がすのにひどく苦労した。
 自分のカップをごみ箱に投げ、星見のカップは、迷った末に左手で確保する。荷物置きなどという気の利いた板面は、休憩所とは名ばかりのソファには据えられていない。自分の飲みかけなら足許にでも置いてしまうのだが、相棒のカップでは流石にためらわれた。
 熱くもなければ冷たくもないカップを手に、小さく溜息をつく。胸の奥底に、微かな淀みがあった。
 ――随分と、思いきった真似をしてしまった。
 月見に、星見と直接話させる道を選んだ。
 それが可能なのかどうか、試してみたいという気持ちもあった。
 あのとき――月見が星見を押しのけて銃を手にしたとき、二人は一瞬重なっている。月見は星見の口を借りて言葉を発し、星見は星見の意識を保ったままそれを聞いていた。どういう形をとるかはわからないが、少なくとも、月見の言葉が星見に届くことは確実なのだ。だからこそ、こんな事態に陥っているとも言えるのだから。その逆が仮に不可能だったとしても、星見の様子を掌握している月見のことだから、意思疎通はなんとか可能だろう。
 所詮は第三者にすぎない夏野が言葉を並べたてるよりも、当事者どうしで話をさせたほうが良い。そもそも、事態がこんな局面を迎えてしまった根本的な原因は、星見と月見との意思疎通がこれまで一度も行われてこなかったことにあるのだ。
 だから、月見を呼んだ。
 応えてくれるだろうか、という不安はあった。けれど、待ち構えていたような滑らかさで現れたところを見ると、夏野の考えを読みきってでもいたのかもしれない。
 どうやって会話する気だろうと思っていたら、どうやら星見ごと無意識の向こうへ消えたらしい。今の彼女はただ、喪服を着た抜け殻だ。死人の身体も抜け殻と中身に分けられるのだろうか、とふと疑問に思ったが、目の前にある事実以上のことは考えないようにした。
 そして夏野は独り、意識の側に取り残された。
 最善の方法かどうかは自信がないが、その方法を選んでしまった以上、もう後には退けない。振り返ることは既に無意味だ。こともあろうに相棒を実験台に使うような真似をしてしまったことに後悔はあったが、意識しないようにした。それではあまりに無責任すぎる。
「……巧くやれよ」
 口に出して言ったのは、たぶん、隣で項垂れる相棒に聞かせるためだ。
 指先まで死体のように硬直させた星見は、顔を隠したまま答えも寄越さない。月見にはちゃんと逢えただろうか。会話は成立しているのだろうか。友好的な邂逅であれば、良いのだけれど。友好的でなければどうなるだろう、と考えかけて、やめた。両手に力が入り、プラスチックのカップがみしりと音を立てる。
 しいて眼を逸らした次の瞬間に思い出したのは、なぜか、星見とともに手がけた最初の仕事のことだった。

 ――新人を迎えて最初に任されるのは、大抵の場合、拍子抜けするほど平和な仕事だ。
 夏野が星見を迎えたときもそうだった。捌いた魂の名前は忘れたが、未練ならよく憶えている。仕事内容に直結するからだろうか。初仕事であろうとなかろうと、仕事に絡む情報のうち最も印象的なのが未練だというのは、どの「葬儀屋」にも共通らしいと聞いたことがある。
 ただその老女の場合は、未練以上に、福々しい笑顔が妙に印象に残っていた。むしろ、憶えていないのは名前くらいだと言って良い。自宅で風邪をこじらせ痩せ細って孤独死、という残酷な死と、魂の身で見せた満ち足りた表情がつりあわなかったせいかもしれない。魂の姿は死したときのそれを映すわけではないというのは本当だ。反映されるのは健康状態ではなく精神状態である。
「葬儀屋」として二度目の生を受けたばかりの星見と、何人めかの新人を迎えた夏野が最初に手掛けたのは――そんな老女の魂だった。
 思えば、最初から不思議な相棒だった。どう考えても自分より歳下にしか見えない夏野を早々と「先輩」であると了解し、新入社員のような顔で黙ってついてきた。そのときはなんの疑問も抱かなかったが、今になってみると、やはり彼女は最初から星見だったのだ、という気にもなる。周りの状況を苦もなく受け入れてしまえる人間。
 孤独死した老女が残したのは、人恋しさだった。
 いかにも第五班らしい仕事じゃないか、と苦笑した。小手先の技術よりも、じっくりと魂に向きあい、寄り添うことが求められる仕事。組織のなんたるかを教えるはずの初仕事で、自分の属する班の個性まで伝えてしまうとは、飛鳥もなかなかに粋なことをする。もっとも当の星見が、それを理解しているはずはないのだけれど。
 独り暮らしの老女は、畳の真ん中にぼんやりと正座して、窓の外を眺めていた。この姿で誰かをずっと待っていたのかもしれない、と思わせる横顔。
 すっ、と無意味に一度息を吸った。
「こんにちはー」
 底抜けに明るい声を発した夏野に、星見が驚いたような横目を向けてきた。老女が振り向くまでの一瞬に、彼女に軽く肩を竦めてみせる。老女が夏野の姿を捉えたときにはもう、少年の顔をしていた。
「ちょっと心配で見に来たんです。お邪魔しても良いですか?」
 衰弱死したはずの老女は、ふっくらした顔に驚きを浮かべて、まじまじと夏野を見返す。
「心配、って……」
「独りぼっちで風邪なんかひいて、心細くないかなって」
 既に死んでいる、という事実は敢えて取りあげなかった。生前も満たされなかった空虚を埋めるだけなら、それはいま必要ない。
 紅い眼をした喪服の二人組を見てなにかを悟ったのか、老女は一瞬のためらいのあとで破顔した。
「どうぞ、なんのおもてなしもできないけれど」
 孫と同世代の明るい少年を演じながら、夏野は密かに、新しい相棒を観察した。そのときに抱いた印象は、彼女と組んで長くなった今でもそう変わっていない。
 ささやかな演技を以て老女に相対した夏野に対し、星見はごく自然体で老女の話に耳を傾け、相槌を打ち、笑った。最終的には相手のほうが聞き手に星見を選択してしまい、夏野が苦笑させられる羽目にまでなった。下手に仕事慣れしたベテランよりも、なにも知らない新人のほうが向いている仕事がある――このときがまさにそうだったのだ。ただ夏野に舌を巻かせたのは、それをしたのが、暴力的なまでに非常識な運命を突きつけられたばかりの星見だったということ。経験の浅い新人と、初めて仕事をする新人との差は、この場合大きい。
 化けない、という化けかたをするかもしれないと――夏野は歳上の新人に対して、そんな感想を持った。
 他愛ない話に花を咲かせて随分と時間が経った頃、老女は話し疲れたようにゆるりと瞼を閉じ、――そのまま輪郭から輪廻に溶けて消えた。満足げな最期だった。
 彼女を最後のひとひらまで見送ったあとで、星見はぽつりと、呟いた。
「これが、仕事なのね……わたしの」
 夏野は黙って頷いた。
 生者からすれば途方もなく非常識な運命を、つい最近まで生者だったはずの星見は、こうして受け入れたのだった。

 あれが、夏野と星見の初仕事だった。
 魂の身になって長くなると、生者の思いが汲めなくなりそうになることがある。仕事の中で向かいあう魂たちは、死者でありながら、抱く感情はむしろ生者に近い。「葬儀屋」として致命的となりかねないベテランの欠点を補ってくれたのが、他でもない星見だった。歳上の姿をしていながら、夏野よりずっと初心に近いところに居る星見は、ある意味格好のお手本だ。
 あのときのようなまっさらな「初心」で、彼女は月見を受け入れてくれるのだろうか。
 隣を見る。無意識の奥に沈んだまま、星見は微動だにしていない。
 彼女の中で、二人がせめぎあっている様子を想像した。否、せめいではいないのか。少なくとも月見は、星見に対して悪意は抱いていないように見えた。片方に争う気がないのなら、せめぐとは言わないだろう。だがそうだとしても、星見の衝撃は想像を絶する。自分の中にもう一人の人格が棲んでいる、などと突然言われて納得できるわけがない。夏野ごときが同情しようというほうが無理な話なのだ。
 それとも――もしかすると、月見のほうが辛いのだろうか。
 星見という本体の裏に隠れなければならない、影のような月見こそが。
 星見を月見に託してしまって良かったのだろうか、という不安が、今更のように頭をもたげた。
 例えば――月見が星見の身体を乗っ取ろうと企てていないなどと、どうして夏野に断言できるだろう。影として裏側に隠れていなければ表に出られるのに、と思ったかもしれない。自分の意志で自由に動かすことのできる身体を欲したかもしれない。もしかしたら、その手に銃を構えたいと思ったかもしれない。
 そうだとしたら、自分は取り返しのつかない間違いを犯したことになる――。
 きゅう、と胃を鷲掴みにされるような恐怖を覚えた。
 反射的に隣を見る。
 相棒は身動ぎもしない。
「星見」
 予想外の叫び声に自分でどきりとする。思わず息を呑んだ瞬間、星見の指が微かに動いた気がした。細い指と桜色の爪を凝視する。彼女の手をこんなに必死で見たことなどなかった。
 唇が小さく動く。
「……月見」
 久しぶりに動いた彼女が小さく呟いたのは、影の名だった。
 背筋に緊張が走る。
 身動きもできないままに相棒を見つめる夏野の目の前で、彼女はゆるりと瞼を開く。緩慢に顔を上げた眠たげな動作に、彼女が初めてこの世界に現れたときのことを思い出した。
 少し乱れた髪を手櫛で整え、ふとこちらを見る。凍りつく夏野を両眼に映し、僅かに疲れの滲む顔で、彼女ははにかんだ。
 ああ、これは星見だ。俺の知っている相棒だ。
「……呼べたよ」
「呼ぶ?」
「月見、って、ちゃんと呼べた」
 まだ半分夢の中を漂っているような眼差しだったが、口調ははっきりしていた。思わず、問う。
「お前、今、星見なんだな」
「星見よ。……でも、月見も居るわ」
 即答した星見が、華奢な手をそっと胸の上に置く。心臓は鼓動などしているはずもないが、代わりにもう一人の彼女が棲んでいるのだと、夏野は強く意識した。
「……そうか」
「自分でもびっくりしちゃった」
 問いを重ねることを敢えて避けたのは、まだ彼女の様子を窺っていたせいかもしれない。星見のほうでもそれを見抜いていたのかもしれなかったが、言葉を選びながらの呟きはいつもどおりの自然体だった。問い返す代わりにじっと見つめると、星見は小さく笑いながら、悪戯っぽく首を傾げた。
「そんなに驚かなかったから。……そう、夏野を怒らないであげて、って言われたわ」
 誰に、とは訊かなかった。そうか、というおざなりな呟きで応じる。
 月見の存在を知りながら、星見に隠し続けていた夏野のことを咎めるなと――そう星見に伝えたのが、他でもない月見だったというのか。それは、あるいは星見だけでなく、当の月見にとっての裏切りでもあったというのに。
 星見が月見に乗っ取られるのではと、そんな疑いを向けていた自分を束の間恥じた。
「でも、良かった」
 独り言のように、星見が漏らす。
「自分の中でなにが起こってたのか、誰が棲んでたのか、……夏野がなにを知ってたのか、ちゃんと自分で知れて」
「怖くないか」
 気づくと無意識に問うていた。
 星見がきょとんとしてこちらを見たのと、夏野が逃げるように視線を逸らしたのが同時だった。俯いて唇を引き結ぶ夏野をしばらく見つめ、星見はやがて、ふわりと苦笑した。
「なんにも知らなかったときのほうがよっぽど怖かったよ」
「……そうか」
「そうだ、夏野に伝言。アリガト、だって」
 ちらりと視線だけで相棒を見ると、星見はこくりと頷いてみせた。なにもかもを受け入れてしまったような、ひどく大きく見える笑みを湛えていた。その背後に月見の姿を見る。身体を持たない月見の表情など判るはずもないのだが、たぶん星見と同じか、少し得意げな表情で、こちらを見ているのだろうと思った。任せてって言ったでしょ、夏野クン。
 重なった二人を思い――果たして彼女たちがどんな出会いをしたのか、なにを話したのか、純粋な好奇心から問うてみたい衝動に駆られたが、やめた。一人の中に棲んでいる彼女たちのことを無闇に詮索するのは、相棒といえども許されないことだ。プライバシーなどという、流行の言葉を抜きにしても。なにか話したいことがあるのなら、彼女のほうから言ってくるだろう。
 ただひとつだけ、どうしても確認したかった。
 意を決して首を回し、呼びかける。
「星見」
「なに?」
「お前がメインなんだな?」
 面食らったような表情が返ってきた。笑えば良いのか真顔を保てば良いのかと戸惑っている様子が手に取るように解る。けれど夏野は本気だった。少なくとも夏野にとっては最重要事項である――。
 星見がくす、と苦笑した。姉の顔だ。見覚えのある。
「もちろん」
 肩が――すとん、と、落ちた。緊張していたことを、そこで初めて自覚した。
 良かった。
 無意識に漏らしかけた呟きを無理に呑みこみ、照れ隠しの苦笑を繕った。右手に握ったカップの存在を思い出し、突き出すように相棒に手渡す。にこりと見慣れた笑顔で受け取る星見の手から、ないはずの温もりを感じた気がした。
 ――平班員には大役すぎるよ、飛鳥さん。
 文句を呟けるのも久方ぶりの安堵ゆえか。反動のように襲ってきた疲労感に、夏野はしばし眼を閉じた。


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