岐路に侍る

三、斑鳩


 電話が鳴っている。
 斑鳩[いかるが]はそれを、他人事のように聞いている。否、事実他人事なのだ。鳴っている電話は、自分に属するものではない。それはあくまで、隣人たる二人の同僚にあてがわれた備品だ。だがそんなことにはお構いなく、電話のベルは斑鳩の耳にまで飛びこんでくる。聴覚はそう簡単に封じられない。煩い鬱陶しい早く取りやがれどこ行きやがった畜生叩き潰してやると散々苛立ちを募らせてようやく、電話の持主は二人とも席を外しているということに気がついた。
 斑鳩は右を見た。空席が三つ並んでいる。すぐ隣の一つは、自分の相棒の席。その奥に二つ、別の組の席。席の主は手前から順に、青葉、蒔絵、甲斐。単語ばかりが断片的に閃く。なにも考えられないまま、視覚だけが惰性的に機能している。斑鳩と青葉の間、蒔絵と甲斐の間に一つずつ電話がある。鳴っているのは確かに蒔絵と甲斐の電話であり、斑鳩と青葉の電話は音も光も発していなかった。両耳と両眼はそれだけを認める。そんなことを子細に観察してみても、着信音は消えない。
 長髪を弄んでみた。[うなじ]の後ろで束ねた、背中までの長髪。枝毛でも探してやろうかと思ったが、それも面倒だったのでやめた。枝毛が見つかったところで別に得をするわけでもない。所詮は純然たる暇潰しである。
 代わりに貧乏揺すりをした。
 されど電話は鳴っている。
 斑鳩は舌打ちをして、ようやく立ち上がった。空席の三人にまとめて悪態をつきながら、手を伸ばして受話器を取る。
「もしもし」
 電話の向こうで、誰かが一瞬黙った。
 不愉快さを唇の歪みだけで主張し、再度問いかける。
「……もしもし?」
「斑鳩ですか」
 聞こえたのは上司の声だった。意外そうな声音は、あの上司には珍しい。
 蒔絵の席に無断で腰かけ、斑鳩は脚を組んだ。――運が悪い。よりによって最も苦手な死人が、電話の相手だったとは。
「そうですけど」
 答えながら、なぜ他人の電話を勝手に取ったのだろうと今更ながらに後悔した。――単純だ。ベルを止める手段として最も手っ取り早いから。自分の一部が訳知り顔で断言する。安直な手段を取ると、往々にして余計に面倒な目に遭う。
 上司はしばし沈黙してから、また問うてきた。
「甲斐は居ないのですね」
「居ませんよ、蒔絵も甲斐も空っぽです」
「そうですか……。では、戻ってきたら僕の部屋に来るように言っておいて頂けますか」
「解りました」
 強いて飄然と答えると、上司は、お願いしますよ、とだけ言って電話を切った。斑鳩も受話器を置く。声音から想像された柔らかな微笑は、瞼の裏にこびりついてなかなか消えてくれなかった。
 溜息をついて、椅子に凭れかかった。あの上司と話すと、どっと疲れる。どこか、自分の奥深くまで見透かされてしまうようで――身構える。別になにも悪いことなどしていないはずなのに。
 椅子の高さに座り心地の悪さを感じて、ここが自分の席でないことを思い出した。
 立ち上がりかけた矢先、上から頓狂な声が降ってくる。
「なにしてるの」
 顔をしかめて見あげると、坊主頭の青年がこちらを見下ろしていた。開いているのかいないのか、いまひとつ判然としない細い眼。それでも驚いているらしいことは、眉の上がり具合で判る。それが判別できる程度には、彼との付き合いも長くなってしまったようだった。
「……青葉か」
「斑鳩の席はあっちだよ」
「知ってる」
 応えると、青葉は斑鳩の席を指差したままで首を傾げた。斑鳩が黙って見あげていると、青葉は諦めたように苦笑して自分の席に腰掛けた。青葉が左、蒔絵の席を占領している斑鳩が右。自分の席に座っていれば、本来は斑鳩が左側のはずだ。微妙な違和感はあったが、立ち上がるのも面倒なのでそのまま蒔絵の席に居座った。
「びっくりしたー、蒔絵の幽霊かと思った」
 大袈裟に言う相棒を横目で見る。台詞の内容と発するタイミングのずれにわざとらしさを感じたが、敢えて指摘しようとも思わなかった。デスクに書類を広げている彼の奥に、自分の座るべき空席が見えた。黒いジャケットを、背凭れに掛けっ放した回転椅子。
「でもあれだよね、髪の長さ全然違うか」
「どこからツッコミ入れて良いか判んねえコメントだなそれ……。そもそも死人相手になんで幽霊なんだ。……そーいや、蒔絵と甲斐どこ行った? 仕事か?」
 毒づきついでに尋ねると、青葉が顔をこちらに向けた。眉を妙な形に歪めて、斑鳩を見たままでしばし沈黙する。言葉の意味を測りかねているように。青葉は多分、そうして言葉を探している。嫌な感じだ。探す言葉が見つからないときほど、複雑な表情をせざるを得なくなる。
「……なんだよ」
 不安と苛立ちを抑えて問うと、相棒はますます困ったような顔になった。
「斑鳩知らなかった?」
「だからなにが」
「蒔絵なら死ににいったんだよ」
 書類を手にしたまま、青葉はそう言った。
 斑鳩は黙りこんだ。
 そのまま、視線を眼の前のデスクに移す。――そこにはなにもなかった。いくら蒔絵が綺麗好きだといっても、あまりに物がなさすぎることに気づく。埃がないだけならまだしも、ペン立てやファイルの一つもないデスクなど異常だ。試みに抽斗[ひきだし]を開けてみたが、そこにも彼女の触れた痕跡すらなかった。
 斑鳩は抽斗を閉めた。
 立ち上がり、自分の席に戻った。
「班員全員に挨拶して回ったってわけじゃないんだな。俺にだって、たまたまそのとき隣に居たから声かけたってだけみたいだったし……蒔絵らしいといえば確かに蒔絵らしいけど……」
 青葉が、独り言なのかどうか判断しにくい音量で呟いている。
 座り慣れた自分の椅子に腰かける。ようやく一息ついたところで、斑鳩は、不要物ばかりで散らかった自分のデスクを眺めながら問うた。
「甲斐は?」
「蒔絵よりちょっと早く出てった」
 上の空かと思いきや、返事が返ってくるのは早かった。
 聞けば、甲斐が無言で席を立った数分後に電話が鳴ったのだという。蒔絵は電話を取って、二三度事務的な返事をした。受話器を置くや否や立ち上がって、思い出したように、隣席の青葉に呼びかけてきた。
 ――ちょっと死んでくるから。今までありがとう。
 旅行に出かける程度の気安さだった。
 甲斐のこと宜しく、とだけ付け加えて、呆気にとられる青葉に背中を向けた。班室と執務室を繋ぐ扉の向こうに、そのまま姿を消した。
 それきりだった。
 蒔絵は帰ってきていない。たぶんもう二度と。
「……そりゃまた笑えるくらい蒔絵らしい話だ」
 さばさばするにもほどがある。青葉も同意なのか、顔をくしゃりと歪めて苦笑した。
 隣席の住人であるにも関わらず、斑鳩が蒔絵と青葉の間で交わされた会話を知らないということは、それだけごく当たり前のやりとりだったということなのだろう。右から左に抜けてしまうほどに日常的な会話。もしかしたら、斑鳩が居眠りをしてしまっていただけなのかもしれないけれど。
 死ににいくと言った以上、彼女は執務室で死ぬのだろう、と確信を持って想像できた。より正確にいえば、上司たる常磐の手で輪廻へ還る手続きが――手続きとはまた妙な言葉だ――なされるのだろう。たぶんもう今頃は、蒔絵はこの建物のどこにも存在しない。ただ静かに輪廻のどこかで、再び誰かの許に生まれ変わるのを待っているはずだ。電話があったこと、死ににいくという言葉、そのあとすぐに執務室に向かったこと、証拠には事欠かない。
 それが、死者たる「葬儀屋」が死ぬということ。
 蒔絵が取った電話の相手は常磐だろう。あるいは彼の相棒の狭霧か。すると、斑鳩が取ってしまった電話は――常磐が、これからのことについて甲斐に話をしようとしたというところだろうか。肝心なときに居ないとは役に立たない奴だ、と殊更に悪態をついてみたが、怒りや苛立ちよりも、なぜか憐憫のほうが先に立った。
 デスクの中央にあった紙切れを手に取る。いつのものかも判らないようなメモ用紙だった。丸めてごみ箱に投げ捨てる。一連の動作を無意識に行ってから、斑鳩はふと自分の手を見つめた。生命線の短い手。少し血管が浮いているが、果たしてこの管の中に血は流れているのだろうか。ときどき疑問に思う。死者といえども怪我をすれば血は出るのだから、血液は存在しているらしい。だがそれは、血流となって流れているのだろうか。全身に酸素や栄養を供給する役目を果たしているのか。惰性で流れているのか。あるいは、溜まって淀んでいるだけなのか。それならこの血にはどんな意味があるというのだろう。
 斑鳩は死者である。
 死者であるが「葬儀屋」であり、さも生きているかのように振舞っている。
 偽物である。
 だから――「葬儀屋」が「葬儀屋」としての生を終えて輪廻に戻るということは、どちらかといえば祝い事だ。仮初めの存在が、在るべき姿に還るということは。けれどそれは、あくまで本人の意識にすぎない。――周りの人間にとっては、「葬儀屋」の死も、生者のそれと同じ。
 甲斐もそうして、蒔絵の死を生者のように受けとめてしまったのだろう。或いは、受け容れられなかったのだろう。
「甲斐にはもっとちゃんと言ってたんだろうけど」
 青葉が片手で首の後ろを揉みながら、どちらかといえばそれを希望するような声音で呟いた。相変わらず仕草がいちいち年寄りじみていたが、流石にそんなことを指摘する気にはなれなかった。
「どーだかな……蒔絵だしな」
 思いきり背凭れに体重を預けると、椅子が小さく悲鳴をあげた。構わず両腕を頭の上で伸ばす。そこではたと思いなおし、腕を下ろして椅子を青葉に向けた。
「甲斐の野郎、どこ行きやがった?」
「知らない、って言いたいとこだけど、さっき休憩所で見かけた……どうしたの」
 青葉が言いきらないうちに、斑鳩は立ち上がっていた。きょとんとしている相棒の顔を見下ろして、ぶっきらぼうに言い放つ。
「ちょっとあの腑抜け野郎を殴りに」
 中途半端に歪んだ椅子を、デスクの下に乱暴に押しこむ。背凭れには黒いジャケットが掛けっ放しだ。構わない。どうせいつもワイシャツにネクタイだけで過ごすのだ。ジャケットなど着ていては動きづらいだけである。それにかなり長いことこの状態で放っておいたから、黒いジャケットも皺と埃だらけになってしまっているだろう――言い訳じみた判断を一瞬でしてから視線を戻すと、青葉が細い眼にささやかな好奇心を覗かせながら立ちあがっていた。そんな表情は外見年齢相応に若い、とどうでも良いことを思う。
「俺も行く」

 班室を出て真っ直ぐに歩くと、休憩所がある。だが休憩所とは名ばかりで、廊下の端の取り残されたような空間に、簡素なソファがいくつか置いてあるだけの代物である。
 その更にいちばん隅に、甲斐は死体のような存在感で座っていた。
 青葉がちらりと視線を送ってきた。斑鳩も彼を見返し、小さく溜息をついて頭を振る。相棒が返してきた苦笑を横目で受けると、斑鳩はようやく甲斐に呼びかけた。
「酷え顔してんな」
 反応など端から期待していなかったが、案に相違して、甲斐はゆるりとこちらを向いた。ただし血糊[ちのり]のように平坦な眼だった。眼鏡のレンズ越しに見ると、光のないそれが余計に作り物めいて見える。甲斐が口を開かないのに半ば業を煮やし、斑鳩は大袈裟に溜息をついた。顔を見るなり、髪を切れだのなんだのと軽口を叩くのが甲斐の常だったはずなのに、どうやら余程打撃を受けているらしい――。予想はしていたが、それがぴたりと当たってしまうというのも不気味なものだ。予想通りの反応しかしない甲斐が逆に鬱陶しくも見えてくる。
「……斑鳩か」
 ようやく返ってきたのは、ないほうがまだ良いような返答だった。
 彼の言葉には応えず、斑鳩は強引に、甲斐の隣に席を占めた。青葉が少し迷ってから、斑鳩の隣に腰掛ける。黙って領域を侵したにも関わらず、甲斐は眼を丸くすることも眉を[ひそ]めることも、歓迎も拒絶もしなかった。
 甲斐がなにかを問うてくるのを待った。
 しかし隣からはなにも聞こえなかった。
 斑鳩は脚を組んで、靴の爪先を眺めている。黒い革靴が少しくすんできていた。磨かねばなるまいが、そういうことはなぜかすぐに忘れてしまう。甲斐辺りが呆れ顔に指摘してきてようやく磨くというのが常だった。ただ今の甲斐は、斑鳩の靴の汚れなど文字通り視界に入っていない。
 物寂しい休憩所に、男が三人無言で座っている。
 その異様さに耐えられなくなって、斑鳩は苛立ち交じりに呟いた。
「常磐さんから内線があった」
 甲斐の気配が少し動いた、ような気がした。
「部屋に来いってよ。――おい甲斐」
「ああ」
 呼ぶと相手は、ようやく斑鳩を見た。焦茶色のメタルフレーム。レンズの向こうの双眸には、硝子玉程度の生気は回復していた。その眼を視線で掴み、有無を言わせず問いかける。
「相棒の死ぐらい見送ってやったらどうだったんだ」
 紅い眼が揺らいだ。
 蒔絵が今日執務室に向かわなければならないことを、甲斐は知っていたはずだ。それでいて、わざとここへやってきた――逃げるように。そうなんだろう、と眼だけで問いかける。甲斐は虚ろに斑鳩を見返している。
 やがて甲斐は、ゆっくりと瞬きをした。硝子玉が死人の眼に変わる。それが良いことなのか悪いことなのか、斑鳩には判断できなかった。空洞を抱えて現世に留まる死者はよくこんな眼をしている、と思う。例えば、自分が死んでも世の中はさして変わらないのだということを知ったとき。あるいは、かつての恋人が新たな恋を見出しているのを眼にしたとき。もしくは、身を[てい]して護ったはずの子供が車に轢かれて死んでいたとき。――面白くもない連想を振り払うのに苦労した。
 甲斐が唐突に苦笑を作ったことで我に返った。
 いつもの困ったような苦笑であるはずなのに、それは劣化したゴムのようにひび割れている。その落差に狼狽する。そもそもここは苦笑など浮かべるべき場面だっただろうか?
 斑鳩は怯んだ、のかもしれない。見慣れているはずの同僚の顔で作られた、底の見えない表情に。
「そう、だな」
 斑鳩の表情を無視して応えるや否や、甲斐はするりと立ち上がって、何事もなかったように班室へ――否、執務室へ?――向かっていった。
 あっという間の出来事だった。
 かけるべき言葉も見つからず、呆気に取られて彼の背中を見つめる。革靴の足音が遠ざかり、廊下を曲がったところで、甲斐の後ろ姿がふつりと消えた。彼の靴は相変わらず綺麗に磨きあげられていたと、そんなことばかりが眼に残る。
 手持ち無沙汰の手で、とりあえず髪を背中に流した。
「ぶっ壊れる寸前だね」
 存在感を綺麗に消していた青葉が、唐突にコメントする。横目で見ると、相棒の横顔はやはり廊下の曲がり角を見つめていた。彼もまた、反応のしかたが解らないでいるようだ。好奇心半分に様子を見にきてしまっただけに、打撃も大きかったのだろう。
 廊下はひんやりと薄暗い。否、斑鳩がそう感じているだけなのかもしれない。確かに建物の端ではあるが、ここはそこまで陰気な場所ではなかったはずだ。天井の蛍光灯もきちんと点いている。薄暗いのはただ、斑鳩の心象風景だけだ。もしかしたら甲斐の。
 頭を掻いて、ぼそぼそと呟いた。
「とっくに壊れてやがるかもな。……まーそのうち元に戻るとは思うがここまでとは思わなかった」
「だね」
「人一人死んだくらいで完璧にぶっ壊れてちゃやってけねえのにな」
「甲斐は蒔絵が好きだったんだよ、たぶん」
「知ってる」
「知ってたの?」
 あっさりと応えると、突拍子もない声とともに青葉がこちらを見た。とっておきの隠し玉を出したつもりだったのだろう。半信半疑といった面持ちで、けれど大袈裟なほど胡散臭そうな顔をしている。わざと作った表情だということは解っていたから、こちらも必要以上に不機嫌な声を出した。冗談のひとつも言わなければ余計に滅入ってしまう。
「馬鹿、その程度の機微が解らなくて『葬儀屋』なんてやってられっか」
「御見それしました」
「馬鹿か」
 おどけたように言う青葉を一蹴して脚を組みかえた。そして青葉の言葉を反芻した。――甲斐は蒔絵が好きだったんだよ、たぶん。
 確証があったわけではない。ただ、それこそ死人らしく生気を失ってしまっている甲斐を見て、ああやっぱり、と思ったことは事実だった。そして、青葉の言葉を聞いた時点でほぼ確証を得たことも。
「葬儀屋」は大抵、二人一組で仕事を行う。同性同士であることもあるし、異性の組も少なくない。考えてみれば上司の常磐も、相棒は女性であった。斑鳩の相棒は青葉だ。男同士の組である。女性と組んだ経験もあるが、幸か不幸か恋愛感情など欠片も持たなかった。けれど、男女が共に行動していれば――恋愛感情を持ったとしても、そのこと自体に不思議はあるまい。だから甲斐が蒔絵に好意を持っていたとしても、驚くには値しない。
 ただ問題なのは、その別れが死別だったということだ。
 そして、蒔絵が淡白なほどにさばさばとした性格であり、甲斐が予想以上に繊細な性格であったことも。
 腕を組み、青葉は独りごちた。
「常磐さんも酷いことするな」
「そりゃ寿命の問題だ、常磐さんにどうこうできる話じゃない」
 くすんだ靴の爪先を眺めながら応じると、青葉は正論だ、と言って苦笑した。それからふと真顔になり、身体ごと斑鳩のほうを向いた。
「でも甲斐にしたらそう思いたくなるんじゃないかな。常磐さんが蒔絵を連れてったのは事実だから」
 冷静な指摘ではあったが、その口調はどこか切実な響きを帯びている。
 青葉を見る。感情を読みとりにくいはずの細い眼。なんのことはない、甲斐のことが心配なのだと――それくらいのことは、眼を読まずとも察しがついた。
 だから斑鳩は、相棒の眼を見て殊更に突き離す物言いをした。
「あんまり感情移入しすぎるなよ、青葉」
 一拍、間が空いた。
 その間に、青葉はゆっくりと表情を変えた。いつも通りの、飄然とした苦笑。優秀な相棒を持ったものだと、その変わり身の早さに感心する。
「……仕事じゃあるまいし」
「似たようなもんだ。――あいつもお前も俺も、死人には変わりない」
 微妙に論点を逸らした青葉にそれだけを言い、斑鳩は再び、甲斐の消えた曲がり角に視線を投げた。彼はきちんと執務室に辿りつけたのだろうか。辿りつけたとして、冷静に常磐の言葉を聞けたのだろうか。
 常磐はなにを告げるのだろう。あの上司のことだ。甲斐がどのような状態であろうと、伝えるべきことは然るべき言葉で伝えるだろう。言葉は常磐のいちばんの武器だ。部下を無駄に揺るがせるようなことはないだろうが、気にはなる。斑鳩の言葉と常磐の言葉とでは、常磐のそれのほうが力がある――それゆえに、上司が同僚にどのような影響を与えたかが気にかかる。
 俺にだって他人の心配ができるんじゃないか、と、妙なところに感心した。
「揺らいだとしても、その始末をつけるのは結局自分なんだ」
 無関心を装って、斑鳩はそれだけを呟いた。そして立ち上がる。視線の真意を読みとられずに済んだだろうかと、小さな自尊心ばかりを気にしながら。
「仕事するぞ」
「りょうかーい」
 強いて間延びさせたような口調で答え、青葉も立ち上がった。


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