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4.花譜


 最近相棒の虫の居所が悪いようだ。
 原因ははっきりしている。さすがの皐月も、班長などという大役を任ぜられてまで平常心を保てるほどの大物ではなかったというだけの話だ。否、たぶん大物ではあるのだろうし平常心も保ってはいるのだろう。ただ、慣れない仕事に戸惑い、戸惑っている自分に苛立っているだけなのだ。
 人事――。
 新たな班長になる者が最初に行う仕事だった。まず、自らの相棒として誰を連れていくのか。班長とは相棒を指名できる唯一の役職だ。但し慣例というのか、元の相棒を連れて班長になることはないらしい。なら自分は、少なくとも班長の相棒という役目は振られずに済むのだろう。それ自体はありがたいことだ。肩書は平班員でも、班長の相棒とあれば、ある程度の責任感が求められる。とてもではないが、自分はその器ではない。
「逢いたいのなら逢いに行けば良い。それだけの話だ」
 死者を相手に皐月が言いきったとき、花譜はそんなことを考えていた。
 青年がぽかんとして皐月を見つめている。自分の三分の一程度しか生きていないように見える少女にそんなことを言われるとは、彼自身も予期していなかっただろう。
 皐月は仁王立ちになっている。持田広輝は立ち尽くしている。花譜はただ、読者のように見守っている。
 やがて皐月が、くるりと持田に背を向けた。我に返ったように、青年が声を漏らす。
「……ちょ、なにが」
「来るなら来い」
 振り向いた皐月の真顔は子供離れしていた。
「顔を見ないと整理もつけようがない」
 持田の未練はなんだっただろう、と思い、別れた元恋人に二重の未練を残していたのだ、と思いだした。かつて愛され、いまだに愛している女性。輪廻に還る前に一度顔を見るだけであれば、さほど手もかからないだろう。彼女はまだ独り身らしい。それなら下手な現場を見て影となることもないだろう――と、皐月が平然と言ってのけたときはさすがに苦笑したけれど。
 持田が一度、こちらを振りかえった。皐月を追うべきか否か、逡巡しているらしい。花譜にしたところで持田よりずっと歳下であったが、少なくとも皐月よりは現実的な大人に見えたのだろう。
 少し、笑った。
「……良いんですか、行かなくて」
 持田は一瞬、表情を空白にした。しかし腹を括ったか、すぐに小さな背中を追っていく。自分も後を追おうかどうか、と迷ったが、皐月が下手なことを言わないように見ていたほうが良いだろうと思いなおして持田に続くことにした。よく考えてみれば、「葬儀屋」としては迷う余地なく相棒と行動を共にしなければならないはずなのだけれど。
 皐月の歩みに迷いはない。
 元恋人は駅前の百貨店で働いている。そこを目指せば、それで良い。
 持田のひょろ長い背中の向こうに、皐月の後姿を見る。きっと今の足取りと同じように、人事も迷いなく決めてはいるのだろう。ただ最後にもうひと押し、踏みだせずにいる。きっとそうだ。第二班の上に立つのだという責任の重みが、彼女をほんの少しだけ臆病に、そして不機嫌にもしている。自分の決定がどんな意味を持つのか、彼女はちゃんと知っている。
 無言で青信号の横断歩道を渡り、自動ドアをすり抜ける。明るい化粧品売り場の一角に、目指す顔があった。それを見つけて、皐月がぴたりと立ち止まる。持田も同じタイミングで立ち止まろうとして、――二歩、三歩。皐月の横を通りすぎてようやく、歩みを止めた。
 淡い色の制服を着た、若い女性だった。肩下までの長い髪は、花譜とちょうど同じくらいの長さだった。
 目の前の女性は笑顔で接客をしている。カウンタに客が座り、鏡を持ちだしてなにかを話している。その鏡がこちらを向いても、死者の姿は映らない。
 持田の後姿はなにも語らなかった。ただ呆然と佇んで、時折身体の中に生者を通過させていた。なにかを呟いていたとしても、館内放送に掻き消えていただろう。
 店員が口紅を取り出す。三本並べて客と会話をしている。花譜などにはどれも同じピンク色に見えるけれど、つける当人にとっては大問題なのだろう。
 皐月はなにも言わない。だから花譜も、なにも言わなかった。
 何人めかの生者と正面衝突をしかけたとき、不意に、持田は生者を躱した。そして我に返ったような唐突さで――つと風景を透かし、そのまま消えた。
 ごく呆気ない、唐突な幕切れだった。
 本当に、ただ顔が見たかっただけだったのだろう、と思った。ただその勇気がなかっただけで。
「……ぐだぐだ言ってなんになる」
 皐月が怒ったように呟いた。
「解ってるんだよ、そんなことは」
 だから小さく、花譜は応じた。
「解ってるからぐだぐだ言うのさ」
 ツインテールを閃かせて、皐月が振り返る。不機嫌顔かと思っていたが、よく見るとただの真顔だった。怒りでも不満でもない。死者がなにごとかに沈んでいた間に、彼女もなにかを思っていたのかもしれない。それくらいのことは可能な空白だった。
 花譜はまた少し、笑った。
「班長になるならそのくらいのことは解っとかなきゃね、さっちゃん」
「……子供扱いするな」
 その一言だけが不満そうで、けれどその瞬間、肩のこわばりが緩んだのを確かに見た。ああ、相棒が日常に返ってきた。
 長い髪を掻きあげると、視界がクリアになる。
「帰ろう」


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