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2.谷中


「随分思いきった振りかたにしたんだね」
 執務室の扉を閉めると同時、珠洲[すず]が楽しげに声をあげた。ソファに座ったままの相棒は、こちらを見て悪戯っぽく笑っている。
 谷中は苦笑して肩を竦め、ソファではなく自分のデスクに戻った。
「もう若いのに任せんといかんだろ、こんな職場でおっさんが班長やってること自体おかしい」
  本来持ちえたはずの寿命を使い、現世を彷徨う死者を輪廻に還す役割を担った死者――それが「葬儀屋」の定義だとするならば、死亡時の年齢が低ければ低いほど「葬儀屋」としてのキャリアは長くなりやすい。逆に言えば、良い歳をした中年男が班長になり、更にもう一段階昇進するということこそ驚かれてしかるべきなのだ。ただ生憎と比較対象が少なすぎて、その持論が正しいのかどうか検証する術がなかった。
「よく言う、ほとんど同期って言ってたじゃない」
 ころころと笑い、珠洲はソファの背凭れに顎を乗せてこちら側を向いた。彼女こそ良い歳をして幼いままだ、とからかってやろうかとも思ったが、それでどうなるわけでもないので苦笑に留めた。有能であることは確かなのだ。少しずれているだけで。
 抽斗を開け、部下の書類を取り出した。眼の黒い写真がこちらを見つめてくる。あの風格はキャリアを重ねるうちに身につけたものだとしても、凛とした眼差しは生前から引き継いだものらしかった。
 写真の中では長い黒髪をまっすぐに下ろしていたが、谷中の知る彼女はツインテールをしていた。隣席の娘に遊ばれて以来ずっとその髪型だ。初めて見たとき、「二つ括り」と呼んだら苦笑されたことを憶えている。
 ――皐月。
 自分が昇進し、班長を退くことになったと聞かされたとき、真っ先に浮かんだのは彼女の顔だった。
  外見はキャリアと無関係だ。一度死んでいる以上、外見年齢が死亡時から動くことはない。しかし「葬儀屋」として積み重ねた時間は、確実に魂に刻まれていくものだ。外見の幼い彼女は、ある意味ではこの第二班の誰よりも老成していた。見た目の問題ではない。むしろ、与えられた見た目をどのように活かすかということまで含めて、「葬儀屋」の腕の見せ所だと言って良い。
 矛盾を抱えているから、矛盾の遣いどころを考える。
 キャリアが長い分、周りを見て行動できる。
 たぶん彼女なら、この班を巧く率いてくれるだろう。
 ――だから彼女に、後を引き継いでほしいと告げた。
  さすがに驚いた顔をしていたが、特に反対することもなく、皐月はいつもの真顔で頷いた。呑みこみは早いのだ。仮に呑みこめなかったとしても、今、この場をどう乗りきるべきかは弁えている少女だ。拒否権がない以上、ひとまず大人しく受け入れてから、一人で充分に咀嚼すれば良い――そう、たぶん彼女であれば、そう考える。
「昇進っていっても実感ないな」
 珠洲が呟く。彼女には珍しい思案顔に、谷中は軽く笑いかけた。
「俺には向いてるさ、きっと。裏側が知りたくてしょうがねえ性分だからな」
「それは言えてる。……ねえ谷中」
 珠洲が背筋を伸ばした。ジャケットの襟元にあしらった黒いレースが覗く。確か袖口にも縫いつけていたはずだ。器用な真似をする奴だ、と思う。
 いつもより強い視線を感じたが、彼女が浮かべていたのは屈託ない笑みだった。
「『裏側』、解ったら私にも教えてよね」
「お前こそ、ちゃんと状況報告しろよ」
 きょとん、と表情を変える相棒に、わざと不敵に唇の端をつりあげて切り返す。
「お前の新しい相方が、どんだけお前に振り回されるか楽しみだ」
「ひっどー。否定はしないけどさぁ」
「ほら、そういうトコだよ」
 歳の離れた妹に対するようにからかってみせると、珠洲はまたひとしきり笑ってから、――不意にこちらに背を向けて、天井を仰いだ。
「あー、私の運命もさっちゃんの掌の上ってわけね」
「大袈裟だな」
「だってそうでしょ」
 苦笑を向けるとまた身体を起こしてくるかと思いきや、見えるのはまだ彼女の頭頂部だけだ。
「尊敬する相棒はお偉いさんに昇進、残された私はさっちゃんの手で班内異動。緊張もするよ」
「それも含めて上から見守らせてもらうさ」
 わざとらしい軽薄さに、谷中は意識的に柔らかな声音で応える。珠洲が頭を反らせると、黒髪の向こうから逆さまの両眼が覗いた。
「探りたがりの俺にゃお似合いのポジションじゃないかね」
「神の視点ってやつだね」
 神か、と、思う。
 そんな傲慢になるつもりはないが、地上の一般平民から切り離され、居るのかどうかも判らない存在になるという意味では――存外言い得て妙なのかもしれなかった。
 皐月の書類を抽斗に仕舞いこむ。このデスクを使うのも、あと少し。
 珠洲がようやく身を起こして、振り返る。不器用に、笑う。
「せいぜい邪神にならないようにするさ」


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