シンデレラの居ない家

幕間


「藤倉純、ですか」
 内線で状況報告をすると、常磐は独り言めいた呟きを返してきた。受話器越しに書類をめくる音がする。あの人形め、やっぱり面倒事押しつけてきやがったな――上司の声音から確信する。ベルが鳴った瞬間から、内線の内容も手許に用意しておくべき書類も心得ていたかのようなその調子。
 ぱらぱらという乾いた音が止まった。
「ああ……そうですね」
「一人で納得してんじゃねえよ」
「やはり死んでいます」
 毒づきは無視される。たぶん常磐の両眼は、机上の書類に注がれているのだろう。
「死が集まる時期なのでしょうね」
「……なんの話だ」
「藤倉一家ですよ」
 文句を堪えて問うと、こともなげな返答があった。藤倉一家――藤倉純、ではなく。
 椎名はデスクに視線を落とし、藤倉純の書類を引き寄せた。死者の一代記を語っているようでいて、その実、暗号のように生者の物語ばかりを綴った明朝体。
 純は死んだ。
 そして、部活に遅れそうだった末の妹、梓は――純とともに事故に遭い、集中治療室の中に居たはずだ。
 やはり死んでいます。常磐の言葉を反芻する。
「藤倉梓が死んだのか」
「察しが良いですね」
 ふ、と、穏やかな笑みが零れてくる。充分すぎる返答に、常磐は余計な情報までつけてきた。
「ちなみに、小川健一も死にかけていますよ」
「小川? ……誰だそれ」
「藤倉美晴の恋人です」
 平然とした即答を聞いて納得した。どこからともなく現れた男の名も、やはり藤倉に関わる者であるらしい。それにしても、よく人が死ぬ家だ。父が死んだのは十年も前のことだが、それに加えて兄妹が事故死したとなれば、五人家族が半減したことになる。それは凄まじい割合だろう。それに加えて娘の恋人――死が集まる時期、という言葉も頷ける。
 集まっているとすれば、誰の許にだろう。
「どうやら彼女の味方が次々に逝く、という星のようですね」
 椎名の胸中を見透かしたように、常磐は言った。
 彼女。――藤倉美晴、か。
「星、ね」
 常磐の言葉を繰り返す。自分には馴染まない言葉だ。舌に転がしても違和感しかない。
 単純に言うならば、ツイてない奴、というのが最初の感想だった。実の父が去り、優しい義兄と可愛がっていた義妹が去り、そして心を許した恋人までもが去りかけている。二度と手の届かない場所に。
 家に残されたのは、義理の母娘。
 そして母は娘を疑いの眼差しで見ている。あるいは、彼女に自らの怯えを投影している。それを外から眺めていた藤倉純は、なにを思って死に、なにを思って消えたのだろう。藤倉梓はなんのために、現世にしがみついているのだろう。生者を取り巻く死者の思いは、息詰まりそうに濃密だ。これではまるで、家族というより――。
 藤倉美晴を中心として、死者と生者が思いを巡らせているとでもいうのだろうか。彼女個人の思いなど、一つも見えはしないのに。
「行ってみますか」
 なんの脈絡もなく、常磐は真正面から尋ねてきた。
 一瞬気圧[けお]される。
「……なんの話だ」
「彼女を中心とした魂たちの処理ですよ」
 さも当然のように、事務的な口調で問うてくる。問いの形を取ってはいても、恐らく拒否権はあるまいと、考えるより先に諦めた。上司の指示、であることには変わりない。
「事情が解っている組に振ったほうが、仕事の効率が上がるというものです」
「……藤倉純と、藤倉梓と、その小川って野郎もってことか」
「狭霧も勧めていますよ」
 椎名の問いには答えず、上司は穏やかかつ一方的に、自らの相棒の名を持ち出した。狭霧の場合は、効率云々よりも単に面白がっているといったほうが正しいだろう。そう思ったが黙っておく。常磐の本性が無関心ならば、狭霧の属性は無責任、なのかもしれない。無論、常磐よりもずっと軽い意味でだが。
 受話器を耳に当てたまま、横目で胡蝶を見た。しっかりと聞き耳を立てていたらしい相棒は、眼を逸らすでもなくこちらを見返してきている。意外そうな表情で。――なんの話? まっすぐすぎる眼差しは、雄弁にそう語っていた。
 彼女はどんな死者にでもこんな眼で臨む。
 それなら生者相手にはどんな表情をするのだろう、と思った。眼の前の死者を真正面から見つめて、関われないはずの生者をその背後に透かし見るとでもいうのだろうか。
「どうします?」
 常磐の問いかけを無視して、椎名は書類の端に文字を書きつけた。胡蝶が吸い寄せられるようにペン先を見る。乱雑な走り書きを、ぐいと彼女に押し出した。
 ――生者に興味はあるか?
 胡蝶が眼を[しばたた]く。そして、紅い眼を白黒させながら椎名を見る。椎名は無表情のまま、人差し指の先で文字を叩いて答えを促した。――生者に興味はあるか?
 相棒は黙って、頷いた。
 椎名も頷く。胡蝶からふいと視線を逸らして、どこを見るでもなく答えた。
「行くよ」


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