シンデレラの居ない家




  継母継子[ままははままこ]といってすぐに連想するのは継子苛めなのだろうし、それも、「シンデレラ」のような露骨な嫌がらせと疎外を考えるものだろう。けれど世間が思うほど、継母継子というのは悪い関係ではない。生まれ故郷と現住所のようなものだ。住んだ時間が長ければ長いで、それなりの愛着が湧く。生みの母は遠い思い出として大切にしているけれど、義母と過ごした時間のほうが長い今、母と言って思い浮かべるのは義母のほうだ。
 世間が思うほど、継母継子というのは悪い関係ではない。
 ――そう思っていたが、認識を改めなければならないのだろうかと迷っている。
 これは継子苛めと呼ばれる状態なのだろうか、と、自分の状態について他人事のように考えている。
 殴る蹴るの暴力は受けていない。嫌味の一つも言われたことはない。陰湿な無視も受けていない。仮に赤の他人が我が家で丸一日スパイ活動に勤しんだとしても、表向きは平凡で穏やかな家庭以外の何物でもない。
 なにを考えても否定ばかりだ。それならなにが起こっているのか、と自問する。それでも、なにも起こっていない、という結論だけは有り得ないのだ。
 思いつきのように辿りついた答えは、過保護の三文字だった。
 三人兄妹で一人だけ、妙に門限が厳しい気がする。電話をすると、聞き耳を立てられている気がする。恋人の見舞いに行くだけなのに、行き先や帰る時間をしつこく尋ねられる。アルバイトを変えようかと相談したときには、親身を通り越したアドバイスで、正直なところ閉口した。
 三人の中で一人だけ、特別扱いをされているような空気を感じてしまう。
 特別扱いというその壁が、最近厚く高いものに感じられてしまう。
 三人兄妹を二人と一人に分けるとき、そこには、厳然とした血統の違いが存在する。私の母は義母ではなく、遠い昔に父と別れた生母のほうだ。気にすることも忘れてしまった小さな差異が、ふとしたときに浮かび上がって注意を引く。
 過保護なら愛情の裏返しだろうか。兄は男だが私は女だ。妹はまだ中学生だが私は大学生だ。私が年頃の娘であるという事実が、母を過保護に走らせているのだろうか。
 そう思いたいのかもしれない。
 けれど残念なことに、そうではないということを、私はちゃんと知っている。
 単なる過保護であったならば、それが父の死によって始まるということは考えにくい――。父の死によってなにが変わったといえば、私がこの家の中で「赤の他人」に成り下がったということではなかったか。
 この家の中でスパイをしている赤の他人とは、実は私のことなのかもしれない。
 義母はそう思ってしまったのかもしれない。
 そうであるなら、これは過保護ではなく監視だろう。私が下手な裏切りに走らないように。この家を乗っ取りにかからないように。
 私は巧く、この家に溶けこめたと思っていたのだけれど。
 私は義母を慕っている。しかしそれは、母として慕っているのだろうか。それとも人として慕っているのだろうか。義兄は。義妹は。
 意味などないと思っていたその区別が不意に気になった。


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