葬儀屋
「噂」


 「管理局の零度の鎮魂歌[ゼロ・レクイエム]って知ってるか」
 唐突な一言に振りかえると、氷室が身体ごとこちらを向いて座っていた。ご丁寧に回転椅子をこちら側に向けているところを見ると、どうやら仕事に飽きたらしい、と確信を持って想像できた。顔が既に雑談モードに入っている。
「……ゼロ?」
 キーボードに置いた両手はそのままにして問い返す。自分には仕事をする気がある、ということを暗に示したつもりだったが、生憎とそんな機微の通じる少年ではないらしかった。続きを話したくて仕様がない、という楽しげな焦りが存分に発散されている。
「管理局の零度の鎮魂歌[ゼロ・レクイエム]だよ。知らねえ?」
「知らねえな」
 しいてぶっきらぼうに言い放つと、氷室は大袈裟に唇を尖らせた。死者になって長いというのなら、身体はともかく精神くらい成長しても良いものを――というのは、恐らく班員全員に共通の感慨だろう。
「せめて誰かぐらい訊けよ、ノリが悪い奴だなー」
「氷室」
 氷室の横から海棠[かいどう]が口を挟んだ。
 驚くというなら、彼女の声が聞こえたことにこそ驚いたのかもしれない。但し視線を移しても、彼女の後姿が見えるだけだった。姿勢ひとつ乱していない。そういうところは予想通りともいえるだろうか。――それにしても、隣席同士だというのに、この二人は仕事に対する姿勢が面白いほどに正反対だ。共通点は仕事が速いということくらいか。
 身体はこちらを向いたまま、氷室が首を回して海棠を見る。横顔は幼い不満を浮かべていた。彼がなにかを言うより早く、海棠が言葉を重ねる。その間も、キーボードの打鍵音は流れるように続いていた。
「仮にも情報局員なら、報告の相手は選んだほうが良い」
 氷室の横顔が、中途半端に口を尖らせたままで瞬きをした。作る表情を掴みかねているかのように。
 やがてぽつりと、零す。
「……なんだよそれ」
「そのままの意味」
 氷室は無言で海棠を見つめている。
 海棠の打鍵音が――唐突に止まった。逆ならまだしも、海棠が氷室の雑談に手を止めるなど珍しい。
 彼女がゆっくりと首を動かし、氷室を見る。相も変わらずの仏頂面に、氷室が怯んだように眉を寄せる。
 静かだった。
 けれど、異様だというなら異様な状況だった。
「……誰だよ」
 緊張感に負けて口を開くと、氷室が勢いよくこちらを振りかえった。紅い眼が驚きに揺れている。まったく、忙しない百面相だ――と思ったが、口にはしない。それが大人の余裕というものだろう。たぶん。
 余裕があったならこの場で口を開くことはなかっただろう、ともう一人の自分が嗤ったが、しいて聞かないふりをした。
「誰なんだよ、管理局の零度の鎮魂歌[ゼロ・レクイエム]って」
 訊いてほしかったんだろ、と眼で伝えると、氷室が一度瞬きをして、困惑したように横目で海棠を見た。打って変わって煮えきらない様子を見て、今更のように、海棠は自分にこの問い返しをさせたくなかったのではないか――という気になる。けれどもう遅かった。
 海棠は我関せずとばかりにパソコンに向き直っている。見えるのはハーフアップの後姿ばかりだった。
「……管理局の新入りだよ。有名だから知ってるかと思って訊いてみた」
 氷室が不承不承といった調子で答えた。
「知らねえな。管理局のことまで手が回んねえよ。第一俺だって新入りだし」
 おどけた苦笑に肩まで竦めてみせたのは、場の空気を変えたかったせいなのかもしれない。
「だよなー。お前も海棠と同類だからな」
「俺は光栄だがあいつが嫌がると思うぜ」
 大袈裟に天井を仰ぐ氷室に茶々を入れる。――いつもと同じ軽さではあったけれど、隠しがたいぎこちなさを肌で感じた。
「海棠と同類だと光栄なのかよ。信じらんねー」
「デキる男ってことだろ」
「過大評価だ」
「……無駄口はほどほどにしたら」
 海棠の呆れ声が挟まる。先程よりよほど穏やかな声音だった。彼女の声にも硬軟があったのか、と妙なところに感心をした。良くも悪くも精密機械のような、一本調子の性格だと思っていたのだが。
「そうそう、仕事、仕事。氷室のサボり癖には付き合ってらんねえからな」
「誰がサボりだよ」
「お前に決まってるだろ、うちの班じゃいちばんのサボり魔のくせして」
 笑いながら、パソコンに向きなおって姿勢を正した。知らぬ間にキーボードから離れていた両手を元に戻す。形から入るというのはある程度有効だというのが、この仕事を始めて学んだことだった。パソコンの画面を見れば、嫌でも死者の情報が眼に飛びこんでくる。処理しなければならない死者の数を思えば、のんびりと休んでいる暇などないというものだ。
 節電でもしているつもりなのか、画面は暗く消えている。切れ長の紅い眼が、銀縁眼鏡の奥からこちらを眺めていた。この眼の紅さもようやく見慣れてきた気がする。
 ――零度の鎮魂歌[ゼロ・レクイエム]、か。
 名前ではなく綽名の類だろう、と思う。それとも通り名とでも呼んだほうが相応しいのだろうか。
 ――どっちでも良いか。
 そういえば本名を訊き忘れたなと思いながら、月影はキーボードを叩いた。

――了


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