葬儀屋
「通過点」


 何事もタイミングというのは大切です、と、常磐は唐突に言った。
 形ばかり眺めていた書類から視線を移すと、ペンを走らせる横顔が見える。動いていなければ人形だと思っただろう。
 相槌も打たないうちから勝手に続けた。
「木の葉は森に隠してしまうのがいちばん良いですからね。班内の異動にも口実があったほうが良いでしょう」
 別に、と短く呟く。口実などあってもなくても同じことだ。どうせ、全員が真実を知っている。班長の交代というのは確かに一大事だが、そんなものに被せなくても、椎名と常磐が引き剥がされる理由など有り余っているのだ。
 隣席の優男を眺める。肩まで伸ばした長い髪は、それが当然のようにひとつに束ねられている。穏やかに見える眼差し。すんなりと通った鼻筋。微笑を刻んだ唇。一分の隙もなく着こなしたブラックスーツ。華奢な手。つくづくと作り物のような男だ、と思った。人の上に立つというなら、そのほうが却って馴染むかもしれない。少なくとも平班員として十把一絡げにするよりは、別の場所に居てくれたほうが違和感が少なくて済む。
 この人工物のような相棒が、自分の隣を離れて執務室に消えるのだという。班長として、第三班の上に立つのだという。
 あの班長がそんな人事を選ぶとは、と、それだけを少し意外に思った。もっと常磐に対して警戒心を抱いているものだと思っていたのだが、考えすぎだったらしい。ならば今まで感じてきた恐れは全て、自分たち二人ではなく自分一人に向けられたものであったのだろう。自意識過剰などではなく。
 それならそれで、良い。
 引き剥がしたほうが有益だと判断された、という、それだけの話だ。
 仮にそれが、書類の上では一種の懲罰に値しようと関係がない。班員がひとり班長になり、それに伴って組の再編成が行われる。それはごく自然なプロセスであって、別に椎名が異様な表情と執着心で日本刀を遣おうが、それを常磐がさして問題視せずに傍観しようが関係がない。それとは無関係に現班長の死が決まり、常磐の有能性が評価され、椎名が異端として余っただけだ。そして椎名と常磐という組み合わせは解消され、残る椎名は平班員として別の相棒と組むことになる。班長と班員、と立場を分けてしまえば、確かに椎名と常磐が組む機会はなくなるのだ。そうすれば殺戮が止まると思っているのだとしたら笑い話だが、少なくともあの白い顔を四六時中見ずに済むというのは喜ばしいことだと思う。
 穿ちすぎだろうか。考えすぎだろうか。
「興味のないような顔をしていますね」
 横顔のままで常磐は少し笑った。
「ああ」
 応える。
「興味ねえな」
「当事者というのはそんなものですね」
 いつにも増して他人事のようで、そのくせ愉しそうでもある。あんたも当事者だろうが、という言葉は呑みこんだ。
「巧くやってくださいよ」
 相変わらずこちらを見もせずに、見透かしたような一本調子の微笑が続く。
「貴方は異常なんですから」
「知ってる」
 そんなことは。言われなくても解っている。
 常磐がペンを動かしている。
「別に『普通』になれと言うつもりはありませんが――擬態する努力くらいはしたらどうですか」
「あんたはしてるのか」
 頬杖をついて問いかけると、常磐が手を止めた。
「ギタイ」
 眺めて繰り返すと、紅い瞳がこちらを見る。
 口許だけ、微笑んだ。
「対外的には」
 傾いた視界に、見慣れた歪な微笑が浮かぶ。――姿勢を起こす。
「精々気をつけることですね」
 視線を引き戻そうとするかのような言葉。
「遣える駒だからといって、いつまでも生かしてもらえるとは限らないわけですから」
「頼んでねえよ」
 潰してくれるというのなら。いっそわけの解らない「衝動」ごと叩き潰してくれれば良いのに。否、遣えるのはあくまで「衝動」であって、それなら叩き潰されるべきは椎名の自我のほうなのだろうか。それならそれで、楽にはなれるのかもしれないけれど。
「そんなことを言っているから遣りにくくなるんじゃないですか」
 一般人のような苦笑で最後の署名を終え、書類をファイルに挟み、ペンを胸ポケットに差した。そして足許に置いてあった段ボールの、最後のひとつを持ちあげる。似合いもしないそれを抱えてにこりと笑い、たった一言。
「では」
 短く告げて、それで終わった。ごく自然な、流れるような所作で背中を向け、当たり前のように去っていく。
 たったそれだけの一幕だった。
 綺麗に空いた空席を、呆けたように眺める。――嗚呼、そうか。得心する。今日が最後だったか。
 空になった席に、元相棒の気配は無い。代わりに新しく隣席に座る同僚の視線を思い、それを見返す自分の姿を思い浮かべて、――そうだ、サングラスが欲しい、と、思った。

――了


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