時刻は午後四時。 「何が楽しくて数学の補講なんて受けないといけないのよ! あー! もう!! ってことで、今日はオカ研活動休止!」 「いやー、ちょっと女バスの手伝い頼まれちゃってさあ。悪いな月読、一人で帰らせちゃって」 「……はあ」 それぞれの理由を聞いた夜維斗は、どうでもよさそうな声で返事をしてさっさと学校から帰ることを決めた。普段はオカ研の活動、とか何とか言って無駄に学校に居座るのだが、それが無ければこんなに早く帰れるのか、と内心驚いていた。久しぶりに夜維斗は夕暮れの中を歩く。 「……」 しかし、その足は唐突に止まった。人通りの少ない道の中央に立ち止まる夜維斗は、目の前のモノを見つめていた。 黒い、影だった。 ――お前の、 ああ、やはり、と夜維斗は思っていた。やはり、と思えるほど経験を重ねてしまっている自分に少しだけ悲しく思いながら、夜維斗は足を一歩後ろに引こうとした。が、 ――力を 「……」 足が、動かない。足を止めてしまったせいか、見なかったことにしてさっさと行けばよかった、と思っていても身体は動かない。予想外の出来事に、夜維斗の無表情の中にも焦りが現れる。影は、ぬるりと動いた。 ――力を 「おい」 その時、夜維斗の背後から声が聞こえた。その声と同時に、身体をその場に固定させていたような重みがふっと消えた。それから、夜維斗はゆっくりと後ろを見る。 「あんたの葬儀、挙げにきたぜ」 黒い短髪に、黒いサングラス、黒い喪服。そんな見た目の長身の男に唯一色を与えているのは、サングラスの隙間から見える、紅い瞳。そして男の右手には、その格好と不釣合いな――日本刀。 「……は」 夜維斗が間抜けな声を上げると同時に男は夜維斗に向かって走り出した。ひゅっ、と風を切るような音がして、夜維斗の髪が風でふわりと揺れる。直後、耳障りな悲鳴が夜維斗の耳に響いた。周りに聞こえないのは、それが生きていないモノが発したから。 何が起きたかわからなかった夜維斗は、振り向いて先ほどまで歩いていた方向を見る。喪服の男が刀を鞘に収めている姿があった。 「椎名君!」 何処からか少女の高い声が響く。それに気付いた夜維斗がぼんやりとしていた意識を元に戻すと、夜維斗の横を通り過ぎて長い髪の少女が男に向かって走っていった。 「……胡蝶」 椎名、と呼ばれた男は少女、胡蝶を認めると小さく息を吐き出した。 「大丈夫だった?」 「人の心配するぐらいなら自分の仕事の出来を心配したらどうだ」 「失礼な。椎名君よりは出来ると思ってるけど」 椎名の淡々としたような、それでもからかうような言葉に胡蝶は頬を膨らませる。夜維斗は、その光景をただ、見ているだけだった。 「……」 何をまじまじと見ていたのだろう、と改めて考えた夜維斗はため息を一つ吐き出して、喪服の二人組の横を通り過ぎようとした。本来、その光景は見えないものなのだ。自分が見ていて、何かなるはずも無い。 「月読夜維斗」 夜維斗が二人の横を通り過ぎて三歩ほど進んだとき、椎名が声をかけた。名前を呼ばれると思っていなかった夜維斗は、また、足を止める。 「あんたの葬儀は、まだ挙げるつもりは無い。下手に関わってくるな」 その直後、柔らかな風が夜維斗の背中を撫でた。夜維斗が振り向くと、すでに椎名も胡蝶も姿を消していた。 「……挙げられてたまるか」 わずかに表情を引きつらせながら、夜維斗はそこにいない葬儀屋に小さな文句を零した。 |