・・・【caution!】残酷描写・死亡展開を含みます。苦手な方はご注意ください。・・・
椎名は何時もの様に机に向かって、コーヒーを飲んでいた。見兼ねた胡蝶が、ちゃんと仕事して、と椎名を小突く。すると椎名は、出来てる、と書類の束を胡蝶に差し出した。 「出来てるなら、自分で常磐さんのところに持って行けばいいのに」 胡蝶はからかうように笑っていた。椎名君は常磐さん苦手だもんね。そう言っているような顔だった。椎名は堪らず、舌打ちをして、立ち上がった。無愛想なままで胡蝶に右手を差し出す。 「持ってく」 「よろしくお願いしまーす」 椎名を見上げることに慣れきった胡蝶は満足げに笑って、書類を綴ったファイルを椎名に預けた。 胡蝶の視線の先で、椎名が不満そうな表情をしている。椎名の視線の先では、狭霧が強張った表情をしていた。 「常磐が呼んでるわ」 良い予感はしなかった。だからだろうか。椎名は、ファイルの代わりに、刀を持って行った。 居心地の悪い執務室。主とも言うべき常磐は、とりあえず座って下さい、とソファを差した。逆らっても意味がないことを思い知っているから、おとなしくソファに身を預ける。常磐はというと、何故か、所在無さそうに、不安そうに、あるいは、そう、困ったように、ゆっくりと執務室の中を歩いていた。 「隠していてもいずれ耳に入る話なので伝えておきます。月影が還りました」 「それで」 椎名は常磐を刺すように見つめた。常磐は、それだけです、と。それだけならば、こんな風に執務室で、わざわざ座らせてまで聞かせないだろう。 「嘘は下手なんだな」 「僕は嘘は吐きませんよ。真実を伝えないことは、ままありますが」 詭弁だ。もう一度、刺すように問う。珍しく、立場が逆転だな、と思った。 「空蝉を覚えていますか」 「……知らねぇ」 ようやく話し始めようとした途端、覚えのない名前を聞かされ、少し不服に感じた。ぶっきらぼうに答える。 「でしょうね。貴方が組んでいた沢山の相棒のなかの相手の一人です。彼が、何故貴方と組むのを辞めたのかは、簡単に想像できるでしょう」 常磐の皮肉めいた口調に、舌打ちで答えた。どうせ、斬り殺したところをみて、怖くなったんだろう。怖くなったから逃げたんだろう。大抵の奴はそうなる。今のところ、俺が死人を斬り殺してもーー死人を斬り殺すだなんて可笑しな表現だが、逃げなかったのは、目の前の人形のような常磐と、向こうに居る、幼い少女だけだ。 「彼は、そのあと現場に戻りましたが、やはり、少し苦しかったのでしょうね。結局、情報局に移動になりました」 まさか。それ以上は聞きたくない、と思った。ぬるりとした何かが、頭の中を覆い始めた。 「情報局には、月影がいます」 そうだ。俺と同じ顔をした。 「混乱し錯乱した彼は」 そりゃあ、そうもなるさ。逃げたところに、同じ顔の奴がいたらな。でも、あいつは、俺じゃない。 「月影を殺しました」 そうか。死んだのか。俺に間違えられた所為で。脳みそ全体に、ヴェールが掛かったようになった。 動揺しているんだ。まるで他人事のように思った。 「大丈夫ですか?」 大丈夫?何がだろう。耳には何も入ってこない。 月影が死んだ。そのことでまさか、自分が動揺するなんて思いもしなかった。するはずもないと思っていた。常磐曰く、俺はあの衝動を受け入れたのだから。 「落ち着きなさい。死にたいんですか」 常磐の声が遠くから聞こえる。その常磐の過去の声が小さく聞こえた。ーー貴方の魂は、記憶を受け入れました。鵜呑みにするのは耐え難いが、それよりも、あの衝動を受け入れた、と思っていたかった。 それなのに。 あいつが死んだと聞かされて。俺は。あいつは。死んだ。殺された。俺の所為で殺された。死んだんだ。二回目の死も殺された。同じ顔のあいつが死んだ。俺が死んだ。殺された。俺は殺された。俺が殺した。俺が俺を殺した。 常磐は冷静に冷徹に椎名の脚を撃ち抜いた。当然の帰結として、立ち上がり今にも常磐に切りかかろうとしていた椎名はその場に転げる。 常磐は唸る椎名を横目に執務室を出た。班室に繋がる方の扉である。そこは、閑散としていた、というより、関係者しか居なかった。つまり、狭霧と胡蝶。狭霧はきちんと関係ない者たちをここ以外の所へ逃がし、胡蝶には説明をしたようだった。 表情の崩れがない常磐に、胡蝶は叫ぶように問い掛ける。 「常磐さん!椎名君は?!」 「逝かせ遅れになる前に、処分します」 あまりにも平然とした言葉だった。あまりに平然と吐き出されたものだから、言葉の意味を解釈するのに、少しばかり時間がかかる。どうにか解釈した胡蝶が泣き崩れた。狭霧が慌てて胡蝶の身体を支える。 「しっかりして!」 「やだ、やだ……椎名くん」 ふらり。胡蝶は狭霧の手から抜け出した。執務室を目指していた。 「戻りなさい!」 らしくもなく常磐は言い放つ。けれど、そんな言葉も胡蝶には届かなかった。実力行使に出ようとした常磐の背後。とうとう、執務室の扉が開いた。 ガラス細工のようなガーネットのようなルビーのような、虚ろな赤。異様な存在感を放つ椎名は右手に刀をぶら下げていた。鞘はない。常磐は流れるような所作で椎名に対峙した。けれど、椎名の瞳には、何も映らない。 身を裂くような咆哮が、空虚な班室に響いた。 「胡蝶。みなくても良いんですよ。狭霧がついて行きますから、彼女と何処かへ避難していて下さい。僕がやりますから」 「胡蝶、行きましょう。早く。もう分かったでしょう」 二人の上司に立て続けに諭されてもなお、胡蝶は震える身体で椎名を目指していた。いや。そう呟く彼女の瞳も、何処か虚ろだった。 「……しいなくん。だめだよそんなの」 パンッ、と乾いた音が鳴る。常磐が椎名の足元の血溜まり目掛けて一発。威嚇射撃だった。動きを止めたのは椎名ではなく、胡蝶。 「やめてください常磐さん。しいなくんはだいじょうぶですから」 そんな胡蝶の言葉も虚しく椎名は怪我をしているのも感じられない程、鮮やかな身のこなしで胡蝶の目の前にいた。振り上げられる刀身。常磐と狭霧の動きも止まっていた。二人のどちらからも、胡蝶自身が盾になっていて、どうしようもなかった。 「……ないで」 涙すら出なかった胡蝶の最期の言葉は、椎名には届かなかった。やめろ、という二人の言葉も届かない。何もかもが、椎名には届かない。班室が赤く染まった。 くたり。その場に座り込む形で胡蝶は動かなくなった。彼女はまるで真紅の絨毯の上に居るようだった。常磐と狭霧はそれでも冷静に銃を構えた。 「撃てますね?」 「もちろん」 二人の表情に感情はない。けれど、つとめてそうしているのが伺える無表情だった。 「三つ数えたら同時に撃ちます」 「ええ」 ひとつ。……ふたつ。……みっつが言葉になる前に、椎名が動いた。椎名の目標は狭霧。 「……来ないで」 絞り出すような狭霧の声は、椎名の咆哮に掻き消えた。常磐は慌てて、けれど正確な射撃で、椎名の頭部を狙う。しかし、その正確さが仇になった。あろうことか、刀身が弾丸を弾いた。 鈍い音が鳴り椎名の動きが僅かばかり遅くなる。その隙に、狭霧が引き金を引いた。弾丸はきっちり椎名の右肩を貫く。刀を持った手が、だらりと垂れ下がった。 「僕がやります」 その声に狭霧は頷いて返事のかわりにした。無表情は崩れ、泣き出しそうな少女の顔になっている。まるで、胡蝶のような。 狭霧は蹲り咆哮を上げ続ける椎名の向こうに、ドクドクと赤を流し続ける胡蝶をみた。胡蝶……。狭霧の口から、ぽろりとその名が零れたとき、椎名は咆哮をやめた。 「待って!!!」 またしても時が止まる。 「わかるのね。椎名。椎名の所為じゃないわ。椎名は悪くない。だから、落ち着いて。胡蝶だって、今ならまだ間に合う。だから、その刀を、離しなさい。お願いよ、離して」 刀が床に転がった。狭霧が椎名に駆け寄り、肩の傷を押さえつけるように抱き締める。大丈夫よ、まだ、間に合うわ。狭霧自身に言い聞かせる様に、狭霧は言葉を紡いでいく。常磐はそれを視界にいれつつ、胡蝶に歩み寄った。常磐も、胡蝶がまだ間に合えば良いと、願わずには居られなかったのだろう。 「しい、な?」 狭霧は椎名を呼ぶと、口の端から、つぅ、と鮮やかな赤を流した。椎名の右手には、離したはずの刀。それが、狭霧の心臓を背中側から、貫いていた。刀さえなければ、抱き合っている様にも見えた。けれど今、そこには刀があり、確実に狭霧を串刺しにしている。切っ先は、椎名の脇の下から、覗いていた。 くらりと、目眩がする。それは、誰の感覚だったのだろうか。それとも、誰の感覚でもなかったんだろうか。 椎名は素早く、それこそ怪我など微塵も感じられない素早さで、刀を狭霧だったものから抜き、身を翻して刀を投げた。一方常磐は、椎名がモーションを始めた時には標準を合わせていた。けれど、撃てなかった。この位置から打てば、貫通した銃弾が狭霧をも貫くことがわかっていた。 刀が常磐の右肩に刺さる。その勢いで常磐は床に崩れた。椎名は身体を引きずって常磐の目前に来る。椎名の身体は、三人分の血液で、赤く重たく染まっていた。 「ころ、す」 引き摺られた足が、 「ころされるまえに」 紅い線を引く。 「ころす」 譫言のように椎名の口からそれらは零れた。 「そうですね。殺される前に殺さなくてはいけません、こうなってしまったのであれば」 常磐は至極悠長に、左手で拳銃を構えた。上手く撃てると良いのですが、と妙に他人事のようである。椎名は緩慢な動きで常磐から刀を抜いた。自然、鮮血が吹き出す。二人の間にまた、血の海が出来た。 「もう、終わりです、椎名」 その言葉に返事をするように、椎名は咆哮を上げ、常磐に刀を突き刺す。何度も、何度も。椎名の顔は歪んでいた。 「すみません、僕の所為で」 常磐はどうにか動く左手で椎名をかき抱いた。 パンッ。 全て終わらせた音は、乾ききって響いた。弾丸は椎名と常磐、二人の心臓を貫く。椎名は、ようやく、口の端から血を吐き常磐に倒れ込んだ。ようやく、止まれた。常磐は、椎名の血液を拭うことも出来ず、もつれ合うように、動きを止めた。 ごめん 誰かの声が聞こえた気がした。すると、胡蝶から順に身体が透け始めた。飛び散った赤も、惨劇も、悔いも、哀しみも、全て、透けた。 残ったのは、床の弾痕と、三つの拳銃、そして、刀だけだった。
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Twitterでお世話になっている黒巣真音さんが、「葬儀屋」のエピソードを書いてくださいました! 「葬儀屋」版『そして誰もいなくなった』! 「椎名はぐちゃぐちゃに壊れて常磐に撃たれて死んでたら良い」と思いながら、 でも「私がこれをやったら本当に『葬儀屋』が終わってしまう……!」と躊躇している作者としては、 「よくぞやってくださった!」と拍手喝采を贈りたい勢いでした(笑)。 最期まで健気な胡蝶に泣かされ、狭霧が見せた思わぬ情に泣かされ、 常磐の最後の行動に泣かされました……なんなのこの班長格好良い……。 黒巣真音さま、本当にありがとうございました! |