*白乙さまより頂きもの*
・・・【caution!】「葬儀屋」本編のネタバレを含みます。未読了の方はご注意ください・・・


「葬儀屋」
「かつてとの邂逅」



 その日の椎名は、片手で頭を抱えたまま、執務室のソファに座っていた。
 窓の外からはブラインド越しに陽光が差し込んでくる。隙間からもれだした光は椎名の体に程よい心地良さを与え、そのままうたた寝でもしてしまいそうなほどだ。着慣れた喪服の奥まで染み渡るぬくもりに、赤い瞳がまどろむ。
 が、今の椎名にはそんな真似はできなかった。
「いやあ、今日もいい天気ですね」
 向かい側から聞こえた声に、椎名はがくりと肩を落とした。声を発した本人はそんな様子は気にも止めず、向かいのソファで優雅にコーヒーをすすっていた。
 椎名の上司であり、元相棒でもある常磐だ。
  男にしては妙にさらさらした黒髪を後ろで一つにまとめ、肩口へと流している。整った顔だちはうっすらと笑みを浮かべているが、心のうちはよく見えない。無言をつらぬく椎名をものともせず、彼はカップに口を寄せた。椎名と無駄に長い付き合いのある彼にとって、先ほどの問いかけは独り言だったのだろう。
(胡蝶のヤツ、なにを手間取ってるんだ)
 ソファの手すりにおいた手のひらが、無意識のうちに指で叩き始めていた。心地よいまどろみは真っ白な壁紙の奥へと消え、静まり返った空間にコツコツと乾いた音だけが響いていた。

 ことの始まりは、十五分ほど前のことだ。
 葬儀屋としての仕事を終え、現相棒である胡蝶とともに常磐の元へ報告にやってきた。常磐がちょうどコーヒーを入れていたところだったので、ついでにともに一服し、さあ報告をと思ったところで、胡蝶が声をあげたのだ。
『あれ、書類が、足りない・・・・・・?』
 確かに枚数分持ってきたはずの書類を、一枚忘れてきてしまったらしい。
 慌てた胡蝶がいち早く動き、班室へと取りに戻ってからもう十五分ほどは経っていた。それまでこの上司と二人きりで、この執務室にこもったまま待ち続けている。
 せめて、常磐の現相棒である狭霧でもいれば、まだマシだったかもしれない。女というのは元来喋るのが好きだ。彼女が勝手にしゃべっていることを、椎名は適当に相づちをうっていればそれですむ。だがあいにく狭霧は別件で外出しており、この場にはいない。
 たかが書類一枚、探すのに何を手間取っているのだろうか。椎名は顔をしかめ、内心舌打ちを打つ。そろそろこの薄気味悪い上司と妙な空気に我慢しきれなくなってきたのだ。
「・・・・・・」
 ちらりと常磐のほうを見れば、彼は椎名の葛藤など全く気にしていない様子で書類を確認していた。自分と同じ真紅の瞳が、右へ左へとせわしなく動いている。胡蝶が戻って来るまで、出来る仕事は片付けておこうという算段なのだろう。効率を重視する彼らしい行動だった。
 一方、手持ち無沙汰の椎名は居心地悪そうにコーヒーをすすった。ぬるくなったそれは舌の上にざらりとした感触を残し、喉の奥にまでひっかかる感覚は妙に気持ち悪い。それを無理矢理に流し込めば、多少は気分が晴れたような気がするものだが、それでも部屋全体を包み込む居心地悪さは変わらず存在している。
(早く戻ってこねえと、間がもたねえ)
 そこまで思って、はたと気づいた。
 自分はなぜ、ここまで居心地の悪さを感じているのだろう。
 もともとの椎名は、あまりしゃべるのが得意ではない。“零度の鎮魂歌[ゼロ・レクイエム]”の通り名の元、殺人衝動に身を任せていた頃は、好き好んで椎名に話しかけようという物好きはいなかった。皆が皆、椎名におびえ、遠巻きに眺めているだけだ。自身とコンビを組んだかつての相棒たちでさえ、死人を刀で切り刻む姿を見ては、真紅の瞳を恐怖で染めていた。そんな相方と、まともな交流など出来るわけがない。
 唯一椎名を怖がらなかったのが、常磐だった。他人にあまり関心のない優男は、椎名の殺人衝動を理解した上で、葬儀屋としての仕事をより効率よくこなす手段として利用していた。そのためお偉方から危険視され、コンビを解散させられてしまったわけだが。
 かといって常磐は、椎名と深く関わろうとしたわけではない。あくまで仕事上の相棒として、必要最低限の言葉を交わし、行動をともにするだけだった。それは本人のいけ好かなさを抜いても、椎名にとっては居心地の良いものであったはずだ。
 なのになぜ、今こうして常磐といることが妙に落ち着かないのだろう。
 元々好き好んで談笑を交わすほど仲が良かったわけではなかったのに。
(・・・・・・そうか、あいつか)
 椎名はソファに寄りかかるように身体をしずみこませ、外の方へと目を向ける。ブラインドの向こうは、相変わらずまっさらな青空が広がっていた。きっと現世の方も同じように良い天気だろう。差し込む日差しは暖かく、心地よいぬくもりが染み込んでくる。
 あいつと同じだ。椎名はゆっくりと、瞳を閉じた。まぶたの裏に描いたのは、小柄な少女の姿だ。
 喪服姿の似合わない幼い顔だち。年下ながらも真面目で、正義感の強い頑固者だ。椎名を変えてくれた現相棒は、今もせっせと書類を探してくれていることだろう。
(あいつのせいで、静けさがこんなに居心地悪いのか)
 空気の悪さを飛ばすように、椎名は息を吐いた。見上げた天井はシミ一つなく、味気ない白熱灯の明かりが照らしている。
 葬儀屋として初めての相棒がこんな男で、胡蝶もさぞや大変だったことだろう。最初に椎名の殺人衝動を見たときも、悲鳴を上げ、涙を流しながら、恐怖に染まった瞳を椎名へ向けてきた。それは今までの相棒たちと同じ姿で、きっと彼女も椎名の下から離れていくのだろうと思っていた。
 けれど、その考えは間違いだった。胡蝶は椎名の殺人衝動に怯えながらも、それをどうにか抑えようと必死に椎名を説得してきたのだ。本人ですら制御することを、とうに諦めてきたというのに。
 そのおかげで一辺倒ではなかったものの、最近の椎名は衝動を抑えられるようになってきた。長年愛用し続けた刀は使用せず、今は銀色の銃を持ち歩いている。それを使ったのも、今だに一回きりだ。与えられた仕事の半数を始末で終わらせていた頃と比べれば、大層な進歩だと思う。
 けれどそれ以外にも彼女に与えられた物は膨大なものだった。
 きっと、この感覚もそのひとつだろう。
 椎名はまた深いため息を付き、退屈な時間をぬり潰すように目を閉じた。


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