呆けたような後ろ姿で、その死者は木漏れ日の中に佇んでいた。 「――よう」 何気ない調子で声をかけた瞬間、その背中が跳ね上がる。反射的に地を蹴ろうとする死者に、椎名はしいてのんびりと声をかけた。 「待てって……別に取って食おうなんて思ってねえよ」 硬直した姿勢のまま、ゆるりとためらいがちに振り向く。こちらを見た眼は、絶望の色に塗りこめられている――だがこちらの姿を認めた瞬間、それはひどく単純な当惑に取って代わられた。喪服姿の二人組を、想像してはいなかったのだろう。確かに、童話めいた森の奥には相応しくない組み合わせだ。同じ黒尽くめなら、魔女の類のほうがよほど似合うというものだ。 あるいは、予想された通りの――王の追手か。 椎名と胡蝶とを交互に見て、死者は恐る恐る、問うてきた。か細いが澄んだ声だった。 「私を捕らえにきたのでは……ないのですか」 「まさか! そんなはず、ないですっ」 大袈裟に首を振って胡蝶が否定する。そして死者をひたと見つめ、大真面目に来意を告げた。 「聴きにきたんです」 「……聴き、に?」 「歌には聴衆が要る、でしょう?」 ――歌い手は、歌を歌うことを生業とする。 けれど、音楽を、歌を禁じられた国においては、それはただの重罪人にしかならない肩書だった。ましてや、音使いの能力を持つ者とあっては。 音楽家は拷問にかけられ殺された。 そして眼の前の歌い手も、その一人だった。 「歌を聴きたくてきたんです。……歌ってくださいませんか」 胡蝶はゆっくりと言って、歌い手に微笑みかけた。音楽を罰する者から、あなたは自由な身になったのですから――。 示すべき反応を決めかねているのか、歌い手は、初めに見せたままの当惑で胡蝶を見返していた。もうひと押しが必要だろうか、と椎名が言葉を選びはじめた矢先、歌い手はぽつりと、呟いた。 「……私一人が歌っても、自己満足でしかないじゃないですか」 喪服の二人を振りかえった瞬間に見せた、あの絶望の眼差しと同じ色の言葉。 「死人にしか届かない歌なんて、そんなの意味がないじゃないですか」 死んでしまえば誰にも届かない。音楽を奏でても歌を歌っても、重罪人と後ろ指を指されることもない。しかしそれがゆえに――歌い手は歌い手ではなくなる。 「私は音楽ごと殺されたんです」 「安心しな」 震える声を絞りだした歌い手を、椎名は遮った。 そして歌い手の肩越しに、森の向こうを振り仰ぐ。 死者は椎名の視線に気づいたように、背後を振り返った。森の向こうに、太陽を背にして高く聳え立つ尖塔――その高いバルコニーで、少年がフルートを構えていることに、死せる歌い手は気がついただろうか。 死者は呆然と塔を見上げている。 その後ろ姿に、椎名は静かに呼びかけた。 「あんたらの心は、ちゃんと継がれるさ――音使い」 計ったようなタイミングで、笛の音が風に乗って流れてくる。 その音階を読むように、死者は耳を傾ける。 「歌ってください」 促す胡蝶の言葉と、死者の歌が重なった。自然に零れて流れでた、湧水のような歌だった。 「聴こえる」 フルートの音に耳を済ませた 傍らに控える 「……姫様?」 「うたが聴こえる、気がする」 言われて耳を澄ませてみても、聞こえるのはフルートの音だけだ。けれど琉姫の、眠りに就く直前のような安心しきった表情を見ていると、それをわざわざ指摘するのもためらわれた。 視線をバルコニーに戻す。 茶髪を風になびかせて、そこでは いつかこの音が国中で聴かれる日が来るのだろうかと、華音は独り考える。それはもしかしたら、ずっと遠い未来の話なのかもしれない。 けれど確実に、やってくるだろう。 必ず。 根拠はなにひとつなかったが、なぜか確信を持って、そう思えた。 フルートの音色の最後の一音までを聞き届けて、華音は音使いへ拍手を贈った。 ――了 ********** あいすさまから相互記念イラストを頂戴しておりましたので、遅ればせながらその御礼小説を書かせていただきました! あいすさま宅の漫画、「Ad-Libitum」と、拙宅「葬儀屋」のコラボです。 音楽が禁じられた国で、音楽家として音楽の復興を目指す少年・明樹くんの物語、ですが、 明樹くんを活躍させてあげられなかったことが非常に心残りであったりします……。 彼の活躍は、ぜひぜひあいすさま宅の本編にて! コラボというには非常に中途半端な感が否めませんが、 心をこめて書かせていただきました! 宜しければ貰ってやってくださいませ。ありがとうございました! |