×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



葬儀屋

三‐二、


「椎名君」
 名前を呼ばれて我に返った。
 辺りは恐ろしく静かだった。ゆっくりと視線を巡らせる。幅の狭い廊下の、片側に窓。もう片側に教室。整然と並んだ机と椅子。窓から月が見えることに、今更のように気がついた。爪の先で引っ掻いたような、細い細い月。
 静かだった。もう影は一つも飛んでいない。――すべて斬ったのだ。記憶はなくても感覚が手に残っている。
 視線を動かすと、狭い廊下の十歩ほど先に胡蝶と美玖とが座っているのが見えた。いつの間に意識を取り戻したのか、美玖が、まだ虚ろさの残る眼で椎名を見ている。
 ああ、と、棒立ちのままで短く応えた。そして刀を鞘に収める。遣い慣れたはずのそれを妙に重く感じると同時、胡蝶が、美玖を抱いた腕にぎゅっと力をこめたのが見えた。安心したような、気の抜けたような、泣き笑いの表情を浮かべて。
「良かった」
 自分に向けられた言葉に、思わず狼狽した。
 そんな表情を。そんな柔らかい表情を。向けられる資格はないはずだ。
 疲労のせいか重い身体を無理に動かして、椎名は彼女たちのほうに歩んだ。狼狽を振り払うかのように。だが途中でそれ以上進めなくなった。――美玖の視線が、どうにも痛い。邪魔者の居なくなったこれからが、「葬儀屋」の仕事の本番だというのに。
 中途半端に距離を開けたまま、椎名は美玖を見た。依然胡蝶にしがみついてはいるが、彼女は椎名の眼をまっすぐに見つめてくる。それでも怯えているのか、時折不安げに胡蝶を見上げていた。怯えているのは、椎名も同じなのかもしれない。だが胡蝶はといえば、穏やかな微笑みで美玖を見返し、こくりと頷きかけてなどいる。なぜか聖母子像を連想した。
 美玖の視線が戻ってきたその瞬間を捉えて、椎名は重い口を開いた。
「お疲れ」
 わずかに、彼女は視線を下げた。迷うように。
 椎名は待っている。彼女が言葉を選び終わるのを。
 やがて美玖は、絞り出すような声で問うた。
「今の……なん、だったんですか……?」
「あんただよ」
 短く答えると、美玖は顔を上げた。無意識なのだろう、右手の指が唇を撫でている。ついさっき、殺人願望が流れ出ていったばかりの蒼い唇を。影に味はあるのだろうか、とふと思った。
「わたし?」
「あんただ」
 あえて断じる。
「やり場のない気持ちが憎しみに変わってしまったあんた自身。……ああ、別に罪悪感とかは要らないからな。済んだことだし、それをどうにかするのが俺たちの仕事だ」
「仕事……」
「あんたの葬式を挙げにきた」
 口癖のように使ってきた台詞をぶっきらぼうに吐くと、美玖は首を傾げ、答えを求めるように胡蝶を見上げた。胡蝶はなにも言わずに苦笑して頷く。美玖が、よく解らない、と言いたげな眼で椎名をもう一度見る。しかし椎名は構わず続けた。用意した台詞を読むように。
「あれは、周りの人間を憎んで、殺してしまいたいとまで思いつめたあんたの半身。それを否定する常識的なあんたとの間で、栗田美玖は二つに分裂した――身体が軽くなった気がしないか?」
「え? あ、……はい」
 答えを聞くまでもない。しどろもどろになる美玖の頬には、いつの間にか赤みが戻っていた。
 意識して、椎名は微笑する。きちんと笑えたかどうか、自信はなかったけれど。
「余計なモノが出ていったからな。あんたがやったんだぜ」
「やった、って、お兄さんが変なこと言うから……あ」
 抗議しかけた美玖はそこで言葉を切った。そして探るような眼を向けてくる。そのまま、小さな声で呟いた。
「……わざとだったんですか」
「さあな」
 美玖は眼を白黒させながら、また胡蝶を見上げた。胡蝶は相変わらず苦笑を浮かべて、大袈裟に肩を竦めている。彼女の仕草が常磐に似てきたような気がして、複雑な気持ちになった。
 美玖の眼が椎名に戻ってくる。少しだけ怒ったような顔をしていた。
「ごまかさないでください」
「影の奴を引きずりだすために、わざとあんたの殺人願望を刺激した――これで良いか?」
 仏頂面で述べたてると、一瞬震えてまた俯いてしまった。すぐに表情の変わるガキだ、と呆れたが、そちらは顔に出さなかった。さすがに、まだ自分の中の「影」と向き合える状態ではないらしい。子供も大人も老人も等しく「葬儀屋」の対象になるのなら、子供のお守りも仕事のうちかもしれなかった。
 やがておとなびた口調で、美玖は呟いた。
「殺したい、なんて……ほんとに思ってたんでしょうか」
「そんなことはあんたしか知らない」
「でも、思ってたからわたしはいつまでもこんなところに居るんじゃないですか!」
「大事なのはそっちじゃない」
 静かに言うと、椎名は床に片膝をついた。一メートルはあった身長差が一気に縮む。美玖の大きな眼と、椎名の眼との高さがぴたりと合った。話し方に棘がないかどうかを慎重に確認しながら、やわらかい口調になるかどうかを一言ずつ確かめながら、ゆっくりと語りかけた。
「今、あんたはちゃんとコントロールできた。中に抱えていてはいけない感情を、ちゃんと外に吐き出せた。それはあんたのしたことだ。あんたは自分の感情が暴れても、きっちり飼い慣らせるようになったんだ」
「わたし、は……」
「あまり溜め込まないのがいちばん良い。魂ってのは実体がないからな、感情の影響をまともに受ける。俺にしても、こいつにしても、あんたにしても」
 人差し指で自分を指し、胡蝶を指し、最後に美玖の鼻先を指す。戸惑ったように椎名の指先を見つめる美玖に向かって、椎名は不器用に笑いかけた。
「ほどほどに、正直になれよ」

 美玖が消えるのを最後の一片まで見送ってから、椎名はおもむろに立ち上がった。視点が高くなって、自分の身長を唐突に意識する。
 胡蝶は相変わらず座りこんでいる。もう、美玖は彼女の腕の中には居ない。抱く相手を失くした細い腕は、心なしか寂しげに見えた。はにかんだような少女の笑顔が、脳裏に蘇る。
「お疲れ」
 とりあえずそう呼びかけると、胡蝶は座りこんだまま、しかめ面をして首を振った。
「どうした」
「……立てない」
「は?」
「気が抜けたら立てなくなった……」
 それは、やや間の抜けた沈黙だった。
 椎名も、顔をしかめた。それから大袈裟に溜息をつくと、革靴を鳴らし、慎重にとっていた距離をあっさりと詰める。ほとんど真下にある胡蝶の顔を嫌そうに見下ろして、椎名は乱暴に腕を差し出した。紅い眼を白黒させながら、胡蝶が遠慮がちに見上げてくる。ポーカーフェイスのままで腕を振ると、彼女はようやく彼の手を掴み、勢いをつけて立ち上がった。タイトスカートから伸びた脚が赤い。
 胡蝶が立ちあがったのを見届けてから、椎名は振り払うように彼女の手を離した。
「世話が焼ける」
「……ごめんなさい」
 返ってきたのは存外か細い声だった。
 もう胡蝶に背を向けかけていたが、思い直して振り返る。彼女は立ち上がったままの場所に佇んで、じっと椎名の手を見つめていた。いつになく真剣な、それでいて困ったような、思案の表情で。
 どきりとしたのかもしれない。
 だから独り言のように、声をかける。
「どうしたんだよ」
「あたし、わかんなくなった」
 胡蝶も独り言のように呟いた。
「なにがだ」
 胡蝶の視線は椎名の手ばかりに向いている。先程彼女を引きあげてやった手。その前に、刀を握った手。影を斬り裂いた手。その手応えを記憶している手。その手を――胡蝶の眼が見ている。
 問いに答えるというよりは自分に問いかけるように、胡蝶は言った。
「わかんない。でも」
 言葉を切る。どこか物憂げな視線がすいと上がって椎名を見た。
「頑固なのかなぁ」
 それだけを言った。
 椎名は黙って胡蝶を見返した。どういうことだ、とは、なぜか訊けなかった。
 ――頑固だと、彼女は言う。
 それは、椎名に対する己の感情のことか。あるいは、相手を傷つけることを極端に恐れている胡蝶自身のことか。確かに「葬儀屋」は、銃や刀を握ることを厭うていては話にならない仕事ではある。だが相手が椎名ともなれば、恐れるのが普通だという言いかたもできる。そもそも椎名が異常なのだから。こんな眼をして刀を振るう「葬儀屋」を、少なくとも椎名は知らない。常磐のように「始末」に抵抗を示さない者は居るとしても、「始末」を愉しむ者は知らない。そして胡蝶にとって不幸なことに、彼女に最も近しい「葬儀屋」は椎名であり、ある意味では常磐だった。
 それでも胡蝶は「始末」を厭いつづける。
 ――頑固なのだろうか。
 今の仕事は、どうだったのだろう。影を「始末」するのは仕事のうち。しかし椎名は明らかに、それに対して快楽を覚えていた。栗田美玖を救うのに、彼女の半分を影にしてしまうのが良かったのかどうかは判らないけれど――少なくともその方法を採った限りは、「始末」は同時に救済ともなる。
 善でもなく、悪でもない。「始末」はあくまで仕事の一部だ。己の欲望をそれで満たしたとしても、己の心がそれで掻き乱されたとしても。
 見上げる胡蝶の眼は、その境界線上で揺れている。
 やがて椎名は、小さく呟いた。
「お互いさまだ」
 ――線引きなど、できるはずがないのだから。
 その境界線上に、栗田美玖は居たに違いないのだから。
「そか」
 胡蝶も眼を伏せた。そだね、と、小さな声。
 椎名は、溜息をついた。それから子供を慰めるように、彼女の頭に手を置く。骨ばった手が不器用に髪をかき混ぜるのを他人事のように見ながら、なにやってんだ、と、どこか遠くで思う。
「なにすんのよ」
 反射的に顔をあげて口を尖らせた彼女の表情は、美玖と少しも変わらないあどけないものだった。
「別に」
 あるいはこれも常磐の策略のうちだろうか、と思ったが、そんなことはもうどうでも良くなっていた。


  top