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呼吸


 動きませんね。
 ああ、ごめんなさい。なんだか落ち着かなくて。駄目なんですよ、こういうの。地上二十階、宙吊りの密室! なんてね。
 え? ああ、これですか。ヘッドホンしていても、聞こうと思えば意外と聞こえるものなんですよ。驚きましたか?
 変ですよね。普段、エレベータが動いてることなんてあんまり実感しないじゃないですか。一度ドアが閉まって、それからちょっと揺れたらまたドアが開いて、そうしたら目的のフロアに着いてる、ってくらいでね。硝子張りのは別ですけど。あんまり、上下の動きや高さの違いを実感することってないと思うんですよ。でもまあそれを言ったら、一階に居ても百階に居ても、高さそれ自体は意識することなんてないんですけどね。
 ぴたっと止まってしまうと、こんなに落ち着かないものなんですね。扉が閉まって少しの辛抱、だったはずなのに。
 本当なら乗るのも嫌なんです。流石に階段で上がるのは無理だからって、渋々乗ったらこのザマです。折角慣れてきたっていうのに。初心を忘れるなってことですかね。違うかな。
 いつ、助けに来てくれるんですかね。せめて動かないかな。非常ボタン、押したのいつでしたっけ。……まだそんなものか。
 良かったって? まさか話し相手が居るから、なんてこと言わないでくださいよ。……ああ、そうだったんですね。残念ですがそこは意見の相違、ですね。
 別に貴方が悪いわけじゃないんです、物理的な問題ですよ。
 そのわりによく喋ると思ってます? これもね、癖なんです。残念ですけど。
 残念といえば、いま残念なのっていったい誰なんでしょうね。こんな狭いところに閉じこめられて、っていうのは条件が同じとして、ヘッドホンのままべらべら喋る変な奴に絡まれてる貴方と。よりによって他人と一緒に居ざるを得ない私。
 顔色? そんなに悪いですか?
 ……そうですか。それならもう、駄目なのかもしれないですね。喋ってたら、気が紛れるかと思ったんですけど。
 いえね、だから、駄目なんですよ。怖くてしょうがないんです。こんなに狭いところ、耐えられない。出口がない。出られない。駄目なんです。少しでも広くあってほしいのに。
 そう、ほら。
 貴方ですよ。
 貴方が居るから、駄目なんです。
 だから物理的な問題なんです。ヒトが二人居ればそのぶん狭くて息苦しくて、怖いじゃないですか。恐ろしいじゃないですか。
 だからさ。
 二人じゃなくって一人にすれば良いんですよ。
 単純な話です。算数の問題です。そうでしょう?
 そんな顔しないでください。それから叫んだりもしないでくださいね。折角の音楽にノイズが入るのは嫌なんです。そもそもこっちは貴方の声なんて、もうこれっぽっちも聞いてないんですから。
 だからそんな顔しないでくださいよ。
 まるで私が狂ってるみたいじゃないですか。

 [かさ]高かった人体は、嵩を減らして崩れていた。
 僅かに広がった空間は、閉塞感をほんの少しだけ緩めてくれた。けれど濃く満ちる匂いと両手の汚れはどうしようもない。音楽がただ、耳から流れこむ。旋律に身を任せてぼんやりとしているうちに、がくん、と籠が揺れた。
 エレベータが再び動きだす。
 ――嗚呼、手が洗える、と思った。


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