紐が嫌いなのだ、と老婦人は言った。
 引っ張ると抜けてしまいそうな紐が嫌いだ、とも。それじゃあ電灯なんてつけられませんね、と冗談めかして笑うと、彼女は大真面目に肯定した。そして微笑を浮かべた。こちらが心配になるほど儚い、どこか哀しげな微笑だった。
 そして、こんな話をしてくれた。

 初めて紐を見たのは、五歳の冬でございました。
 季節の割に暖かい、小春日のことでございます。わたくしは祖母と二人、縁側に座っておりました。祖母が部屋に出たのは、久しぶりのことでございました。脚の悪い祖母は、寝たきりに近く、部屋から出ることなどほとんどなかったのですから。
 良い天気じゃ、お陽さんに当たりたい。
 窓の外を見、目を細めてそう言った、祖母のあの穏やかな表情。嬉しくなってわたくしは、祖母と一緒に縁側に出て、日向ぼっこをしていたのでございます。お祖母ちゃん子でございました。
 折り紙をしたり、しりとりをしたり、取りとめのないお喋りをしたり。といっても、喋っていたのはわたくしばかりでございました。隣の家の猫のことや、新しくできたお友達のこと。祖母は、うんうんと目を細めて頷きながら、わたくしの話を聞いてくれました。
 ばあちゃん、肩たたいたげる。
 そのうちわたくしがそう言うと、そうかい、と言って、祖母は目を細めて笑いました。祖母の肩を叩くのも、わたくしの大好きな遊びのひとつでございました。
 祖母の背中に回り、わたくしはそこで、紐を見たのでございます。
 丸まった祖母の背中から、ひょろりと伸びた一本の白い紐。
 わたくしはなんのためらいもなく、それを掴みました。ごく自然に。ただ、なんだろう、と、それだけ思ったのでございます。握ったそれは、ひんやりと心地良い感触でございました。しかし、どこか頼りないような気も致します。掴んでいるような、いないような。
 首を傾げて、わたくしはその紐を引っ張りました。
 紐は呆気なく抜け、そしてそのまま、祖母は眠るように亡くなったのでございます。

 それが、彼女に会った最後だった。
 ――あのとき電灯の紐を少し引いてさえいれば、電気をつけて明るくしていれば、薬を飲むのが遅れることもなかったのに。
 誰かが通夜の席で泣いていたのを見て、わたしはふとその話を思い出した。


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