「ちょっ、椎名君、なにしてんのっ!」 思わず叫び声をあげ、胡蝶はノックスに駆け寄った。この眼と耳が確かならば、あのバトンはざっくりと彼の頭に刺さって落ちたはずだ。プラスチックの筒一本が使いようによっては凶器になりうるということを、胡蝶は初めて知った。否、そもそもバトンには、使いようというほど多様な使い道があっただろうか。トラック競技で走者から走者へ受け継いでいくという他に、用途などないと思っていたのだが――。 バトンが転がる横で、ノックスが頭を抱えている。 「った……」 「だ、大丈夫ですか?」 「うん、まあ、なんとかね」 胡蝶を見て苦笑いを浮かべたその眼は、うっすらと潤んでいるように見えた。両手で抑えつけた後頭には、バトンが作った瘤があるのだろう。 声を掛けてはみたものの反応に窮し、胡蝶はちらと足許を見た。――魔術師の頭に瘤を作った凶器が、ひっそりと転がっている。気のせいか、赤いものがこびりついているように見えなくもないそれを、彼女は拾いあげた。 ええと、と口の中で呟く。 「驚かせてごめんなさい。……うちの萌葱さんが、これ、ノックスさんに渡したいっていうから持ってきたんです」 「バトン? 僕に?」 問い返しに頷いてみせると、ノックスが、予想外といった眼つきでバトンを見つめてきた。そんな平和な用件だとは思っていなかった、と、眼が雄弁に語っている。それはそうだろう。そんな平和な用件で来た死人は、普通、いきなりバトンを頭に撃ちこむなどという暴挙は冒さないものだ。 バトンと胡蝶の顔とを交互に見比べてから、ノックスは最後に、人差し指で自分を指した。 「……えと、良いのかな、僕なんかが貰っても」 「どうぞどうぞ!」 浮かんだのは、自分でもそうと判るほどに満面の笑みだった。 「貰っていただけたらあたしも嬉しいです!」 両手でバトンを持って差し出すと、ノックスはようやく、安心したように笑顔を見せた。穏やかな笑みだった。 「じゃ、遠慮なく受け取らせてもらうよ」 バトンが手から手へ渡る。そうして死者から生者へ返る。 バトンから手を放すと、胡蝶は勢いよく頭を下げた。 「ほんっとーにごめんなさい、うちの椎名君が滅茶苦茶なことやって……ほら、椎名君、謝んなきゃだめじゃん」 困ったような苦笑を浮かべ、胡蝶は相棒を促した。そこでようやくノックスは、もう一人の死者を思い出す。しいて意識から追いやっていた、長身の死者の存在を。 ノックスが恐る恐る見遣ると、椎名は相変わらずの仏頂面で佇んでいた。せめて物騒な得物は仕舞っておいてほしい、と思ったが口には出さない。 サングラスの奥の表情は読めないが、椎名がノックスを眺めているということは判った。 後頭の瘤がまた痛みだしたような気がする。 しげしげと魔術師を見て――椎名は刀を担いだまま、ぼそりと言った。 「あんた、髪型が常磐に似てる」 「……理不尽ッ!」 ――了
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