若い男が叫び声をあげて逃げ、椎名が刀を振り上げて走り、胡蝶が慌てて追う――その後ろ姿を見遣りながら、常磐は大袈裟に肩を竦めてみせた。 「死人のくせに血の気が多いというのも困りものですね」 「よく言うわ」 狭霧が呆れたように口を挟む。 「吉野規をあの子たちに振った張本人の台詞とも思えないわね」 規が遠くで奇声をあげている。頭上に浮かべた金の輪が、呑気なほどの平和さで淡く光っているのが見えた。椎名は彼を仕留めるだろうか。それとも規が逃げきるだろうか。もしかしたら、胡蝶が割って入って両成敗してくれるかもしれない。それもそれで興味深い展開だ。 常磐は眼を細めた。 「彼は……そうですね、穏便な処理は似合わないような気がしまして」 「失礼ね」 笑う狭霧に常磐も微笑を返す。 「一筋縄ではいかない死者には、一筋縄ではいかない者を向かわせるのが礼儀というものです」 自らの生を終えてなお、生者たちに存在感を残すような死者には――。 「それが、一筋縄じゃいかない中間管理職の判断ってわけね」 軽やかに言い放つと、狭霧は思い出したようにつと視線を動かした。 視線の先には、子供。 マフラーに顔を半分隠しながら、彼は狭霧の足許を凝視していた。正確には、狭霧の足許に転がる細長い棒を。観察しているつもりなのだろうか、見つめる視線は強いものの、手を伸ばしてくる気配はない。死人のどたばたに首を突っこむのはさすがに怖いのだろうかと思いかけてようやく、彼にはこちらが見えていないのだということを思い出した。恐らく彼の眼に映っているのは、正真正銘のポルターガイストだ。 無造作に、狭霧は足許のバトンを拾い上げた。 「さて」 子供が眼を見開いて硬直する。生者の彼には果たしてどう見えたのだろう。バトン一本拾うだけでこの表情が見られるなら安いものだ、と可笑しくなった。 「こんなバトンが飛んできたわけだけれども、どうしましょう?」 軽くバトンを振りながら、常磐に示す。 そうですね、と、ものを考えるような言葉を挟みはしたが、返ってきたのは 視線が背後へ滑る。 「あの辺りで生死の境を彷徨っている管理人にでも渡してみましょうか」 管理人室のベッドの上で、痩せた若い女が一人眠っている。痩せているのは体質だが、そうしているとますます虚弱に見えた。もっともそれくらいでいたほうが、彼女の場合静かで良いのかもしれないが――それにしても、風邪をこじらせるなら時期を選ぶべきだ。少なくとも繁忙期に陥る状況ではない。 箱庭の子供が、バトンを見つめる眼を白黒させている。 奇譚の紡ぎ手はうとうとと眠っている。 その間で、死者たる常磐は悠然と微笑んでみせた。 「ぎりぎり僕らの手の届く範囲に来てくださったことですし、冥土からの土産と参りましょう」 ――了
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